今回は、「日本の若者が希望を持っているのかどうか」について考える。
この国には希望がない。そんなメッセージが世の中に溢れ出してから、少なくとも10年は経っている。村上龍が『希望の国のエクソダス』(文芸春秋刊)を上梓したのがちょうど2000年のこと。この小説の中で主人公は「この国には何でもあります。しかし、希望だけがない」と語る。村上龍らしいエッジの効いたこのフレーズは日本社会に大きなインパクトを与え、これ以降、日本は絶望の国で、若者には希望がないことになってしまった。つまり、日本の若者はみんな不幸、ということになってしまったのだ。
内閣府の調査データが裏付ける
日本の若者の幸せ度
ところが最近、ちょっと事情が違うのではないか、と考える人間も出てきた。筆者もそのひとりで、若者が絶望していて希望を持てないとすれば、近年の社会貢献熱の高まりは説明がつかない。
ある意味、日本が絶望的な状況であることは確かだとしても、そもそも希望とは絶望の中から生まれるものだし、実際に日本でも世界でも、絶望の中から希望のメッセージを発信している若者は数多い。仮に、村上龍が「希望の国のエクソダス」を書いた当時の日本の若者のほとんどが希望を失っていたとしても、実感としては希望を取り戻しつつあるのではないか、と思っていた。ただし、データがなかった。
いまの若者は実は幸福なのだ、ということについては、昨年リリースされた古市憲寿の著書『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社刊)によって明らかにされ、大きな話題を呼んだ。なにしろ、「日本の若者は絶対に不幸だ」と思っていた大人たち(そして多くのマスコミ)の常識を覆したわけだから。
実は、この本が話題になったとき、この社会学専攻の大学院生が独自の調査によってこのことを明らかにしたのかと思ったのだが、実はそうではなかった。日本の若者が幸福であることの基本的な根拠は内閣府の「国民生活に関する世論調査」である。つまり、誰でも入手できるデータが根拠になっている。逆に言えば、データは開示されているのに、誰もそのことに気がつかなかったということだ。筆者も見逃していた事実で、不明を恥じた。