プロとして必要なものまでゴミ箱に捨てていた

 そんな僕なりに段々とわかってきたことがあります。面白いことはムダなのではなくて、面白いから強い。人を惹き付けるプレイをする人も、別に無理に面白くやろうとしているわけではありません。勝つための工夫が自然に面白いプレイになっている。強いプレイヤーの動きには、型にはまらないアイデアやアドリブがあります。それは勝つための可能性を広く取っているから出るものです。

 そもそも、格闘ゲームは自由です。画面の中でどう動いてもかまいません。
 それが、多くの人がプレイする歴史の中で、セオリーが作られていきました。セオリーとは、広義の型のこと。本来は自由とはいえ、ある程度型で成立する部分があるから、初心者も入って来られる面があります。

 わかりやすく型にできる領域と、できない領域。格闘ゲームの進化の過程で、型になりづらい「自由」な領域はどんどん減っていきました。だからその領域は切り捨て、型でいける領域の中で最も効果が認められるものに絞り込んだのです。

「型にならない領域」で勝負が決まる

 限定して割り切るやり方には、利点もあります。ムダを切り捨て、効果を認められる分野を絞り込む。焦点が定まらない状態であちこちに手を出すと、何ひとつ物にならないことがあります。物事を限定することで、そういったことがなくなります。限定するとは整理することです。僕はその整理する過程で、プロとしての自分に必要なものまでゴミ箱に捨てていました。僕がやっていたプレイは、誰が作ってもおいしく料理できる材料でご馳走を作っているようなもの。それで差をつけることなど不可能ですし、力は付きません。

 僕のプレイに意外性がないことは、ムダがないことに起因していました。誰が見ても効果的な部分だけで試合が構成されているので、勝とうが負けようが当たり前の展開にしかなりません。だからつまらないのです。
 プロは「ああ、そうだね。当たり前の内容だね」と感想を持たれるようでは失格です。「どうしてそんなことができるんだろう!」と思われなければいけません。

 強い人たちは、僕が簡単に切り捨てた領域に踏み込むことで、それぞれ工夫を重ねていました。そして、その積み重ねの差が試合内容だけでなく、勝率にも出ているのです。トッププレイヤーの人たちが、そうやって勝つための可能性を広げているのだと気づくことが、僕の改善の第一歩でした。