自然選択は生物の条件
私たちの地球では、およそ40億年前に生物が生まれたと考えられている。しかし、たとえ生物(のようなもの)が生まれても、自然選択が働かなければ、生物が存在し続けることはできなかったはずだ。
作り話の中のロボットでも、1体のロボットが1体のロボットを作っているあいだは、そのサイクルがいつ途切れてもおかしくない。ロボットが農作業をしているときに地震が起きれば、落ちてきた岩にぶつかって、ロボットが壊れるかもしれない。そうなれば、もう次のロボットは作れないので、ロボットの系統はここで終わりである。
いや、たとえロボットが100体あっても、それ以上ロボットの数が増えなければ、話は同じである。事故などで1体ずつ壊れていけば、いつかはロボットの数が0になってしまう。だから、ロボットが存在し続けるためには、ロボットは増えなくてはいけない。
しかし、増えるだけでは、やはり長くは続かない。すべてのロボットがまったく同じ性能を持っている場合は、全滅しやすいからだ。もしロボットが水に弱かったら、雨が降ればお終いだ。たとえロボットが何万体いようが、大雨が降れば全滅してしまう。
全滅しないためには、いろいろなロボットがいる必要がある。そのためには、少し不正確な複製を作ればよい。そうすれば、いろいろなロボットが作られるので、中には少しだけ水に強いロボットもあるに違いない。
そして、その変化が次のロボットに受け継がれれば、もっと水に強いロボットも生まれてくる。そうなれば、大雨が降っても大丈夫だ。つまり、遺伝する変異があればよいということだ。
この時点で、自然選択が働く条件は、2つとも満たされてしまう。この時点が、ロボットにおけるシンギュラリティだ。きっと、ロボットは改良され始め、どんどん多様化し、地球に満ちるまで増えることだろう。
以上は架空の話だが、かつて地球に生命が生まれたときにも、同じことが起こったはずだ。地球は広いし、時間はたっぷりある。生命のようなものは、きっと何度も生まれたことだろう。そして、生まれては消えていったのではないだろうか。
でも、あるとき、シンギュラリティが起きた。生命のようなものの1つに、自然選択が働き始めたのだ。その生命のようなものは、一気に複雑になり、どんどん多様化し、ついには地球に満ちた。
生物の定義の3つ目は、「自分の複製を作る」ことだった。でも、正確にいえば、「(大人になる数より多くの)自分の複製を作る」ことだ。そのおかげで生物は、40億年ものあいだ、生き続けてきたのである。
(本原稿は『若い読者に贈る美しい生物学講義』からの抜粋です)