フォロワー20万人超! 仏教の視点をもって、国内外の方々から寄せられた「人間関係」「仕事」「恋愛」「健康」などの相談に応えるYouTubeチャンネル「大愚和尚の一問一答」が人気爆発。
「実際にお寺に行かなくてもスマホで説法が聞ける」と話題になっています。
その大愚和尚はじめての本、
『苦しみの手放し方』が、発売になりました。
大愚和尚は、多くのアドバイスをする中で、
「苦しみには共通したパターンがある」「多くの人がウソや偽りを離れて、本当の自分をさらけ出したいと願っている」「苦しみを吐き出して可視化することによって、人は少し苦しみを手放すことができる」ということに気づいたといいます。
そんな和尚の経験をもとに、この連載では
『苦しみの手放し方』から、仕事、お金、人間関係、病気、恋愛、子育てなど、どんな苦しみも手放せて、人生をもっと楽に生きることができるようなヒントになる話をご紹介していきます。(撮影/小原孝博)

貧しさから逃れたければ、
人のために惜しみなく与える

 前述したように、仏教では、「自分の収入に見合った等身大の生活をする」「困っている人のためにお金を使う」ことによって「富の循環」が生まれると考えています。
 ですが、この教えに反論する人もいます。「自分が金銭的に潤っているのであれば、その余分を相手に与えてもいい。しかし、自分が困っているのに、人に与える余裕はない。他人の幸せよりも、自分の幸せを優先すべきではないか」というのが、反論者の言い分です。
 しかし、自分が儲かっていても、儲かっていなくても、
 「先に、他人に与える」
 「先に、他人の役に立つ」
 のが、仏教の教える富の方程式です。

 仏教には、『三尺箸(さんじゃくばし)の譬(たと)え』という説話(寓話)があります。
 ある男が「地獄」を覗いてみると、罪人たちが食卓を囲んでいました。食卓にはたくさんの食事が並べられていましたが、なぜか罪人たちはみな、ガリガリに痩せていたのです。
 不思議に思ってよく見ると、彼らは、1メートル以上(3尺)もある長い箸を使っていました。
 箸を必死に動かしますが、箸が長すぎて、ご馳走を口の中に入れることができません。やがてイライラして怒り出す者があらわれたり、他人がつまんだ食べ物を横取りするなど、醜い争いがはじまったのです。

 次に男は、極楽を覗いてみました。
 すると、極楽に往生した人たちが、食卓に仲良く座っていました。極楽でも、地獄と同じように、1メートル以上の長い箸を使っていたのですが、箸の使い方が違いました。極楽の住人は、長い箸でご馳走をはさむと、「どうぞ」と言って、他人の口の中にご馳走を運んであげていました。
 ご馳走を口にした住人は、「ありがとうございました。今度は、お返ししますよ。あなたは、何がお好きですか」と言って、お返しをする。極楽では、みんなが喜び合って、感謝し合いながら、楽しく食事が進んでいたのです。
 地獄では、「自分さえよければいい」と先を競い、争った。しかし極楽では、「お先にどうぞ」の気持ちで相手を思いやった。だから、すべての人が食事を楽しむことができたのです(参照:『華厳の思想』鎌田茂雄・著/講談社学術文庫)。

 この寓話は、「先に与えるから、相手からも与えられる」「相手の幸せを優先するから、相手からも大切にされる」という循環を象徴していると思います。

 私が住職を務める「大叢山 福厳寺」は、1476年(室町時代)に建てられ、創建540余年です。
 「福厳寺のような大寺は、お布施が高くつくから儲かるだろう」と心ない発言をする人もいましたが、そうではありません。先代の武三和尚は、子弟の育成と幼稚園の創立・運営に私財を投げ出し、40年間、無給を貫きました。
 福厳寺が廃寺にならず、540年以上にもわたって、尾張地方に住む人々の信仰を集めることができたのは、先代をはじめ、30人の歴代住職(私は31代住職)が、覚悟を持って、私欲を捨て、人々の喜びのために、奉仕の精神を発揮してきた結果です。
 貧しさから逃れたければ、人のために惜しみなく与える。与えられたから与えるのではなく、「先に与えるから、与えられる」のが仏教の原則です。

(本原稿は、大愚元勝著『苦しみの手放し方』からの抜粋です)