収入や名声に背を向け、あえて「二流」の生き方を選ぶ人が増えている。「一流」と呼ばれる人は確かに華々しいが、それ相応の苦労もあり、必ずしも幸せとは言い切れない。一方、「三流」と思われる人生も嫌だ。そこで注目されるのが、重圧も少なく自分のプライドも保てる「二流」という生き方だ。「二流」の道を行く人たちの声を紹介しつつ、そのメリットを分析したい。(取材・文/有井太郎、編集協力/プレスラボ)
一流でも三流でもない
「二流」という生き方を選んだ人たち
「管理職への昇進は、決してしませんでした。何度か要請されたものの、そのたびに断ったんです」
小さい頃、多くの人が「一流のスポーツ選手になりたい」「一流の芸術家になりたい」といった夢を抱いたのではないだろうか。脚光を浴びる彼らを見て、「自分の好きなことを続けて一流のスターになれたら幸せだ」と考えた人は、決して少なくないはずだ。
しかし、大人になるにつれて、そうした考えに対する疑問もわいてくる。果たして、一流の人生は本当に幸せか、と――。確かに一流のスターは、ある分野で頂点を極め、名声を得ている。だが、その裏には壮絶なトレーニングや努力があり、私たちが抱えたことのないプレッシャーと戦い、結果が出なければ大勢の人たちから叩かれる。一流だからこそ向き合わなければならない“苦しみ”があるのだ。
一流の持つ“光”と“影”を天秤にかけて、「一流ではなくても、もっと地味で小さな幸せに満足できる人生でいいかな」と思う人も出てくるものだ。
これはビジネスパーソンの世界でも同じかもしれない。産業能率大学では、『上場企業の課長に関する実態調査』を2010年から数年ごとに実施している。3回目となった2015年11月の調査では、「最終的になりたい立場」として、出世ではなく「プレーヤーの立場に戻る」と答えた課長の割合が、過去最高の14.9%となった。また、上昇志向を持たない課長(それ以上の出世を望まない)は、3回目の調査で初めて過半数を超えたという。
「役職」という1つの尺度で見るならば、「出世を望まない」というのは「一流を望まない」と近い意味に思える。その気持ちはよくわかる。出世すればするほど責任は大きくなり、部下と上司の板挟みになる。管理職の辛さについては、多くのビジネスパーソンが知るところだろう。
かと言って、当然ながら、会社から必要とされず「三流」の扱いを受けるのは誰だって嫌だ。つまり、前述の結果からは「一流でも三流でもない、二流の生き方」を好む人が増えている、と言えるのではないだろうか。