ドラッカーの教えは日本の経済人・著名人を魅了し、ドラッカーと直接、親交を温めた者も多い。その中でも山崎製パン社長の飯島延浩氏、資生堂名誉会長の福原義春氏、スクウェア・エニックス社長(当時)の田洋一氏はドラッカーのマネジメント思想の何に共感し、感銘を受けたのか。特集『仕事に効く ドラッカー』(全14回)の#11では、3人の経営者のストーリーを紹介する。
波瀾万丈の山崎製パンが悟った
ドラッカーとキリスト教の神髄
「あなたの教えを実践したのに、どうして私の会社はトラブルを抱えたのでしょうか」
1992年、米国の財界人宅でドラッカーと初めて顔を合わせた山崎製パン社長の飯島延浩は開口一番、こう尋ねた。
製パン業界最大手に君臨する山崎製パンだが、その歴史は波瀾万丈だった。飯島の父である創業者の故・藤十郎は50年代に単身欧米に渡り、先進の機械を導入した。
このとき同時に欧米の経営思想を取り入れようと、59年に初来日したドラッカーの講演に参加。ドラッカーに心酔するも著書は経営基本方針に触れていなかったため、別の米国の基礎経営学専門書を基に経営基本方針を制定した。20億円を超える過去最大の設備投資で東京に武蔵野工場を建設し、飛躍を図った時期のことだった。その後に会社は急成長を遂げたが、社内は経営をめぐる内紛で荒れた。