グローバル化は、古くて新しい経営課題である。日本でこの言葉が使われる時、たいてい「海外進出」を意味している。振り返ってみれば、日本企業のグローバル化は、もっぱら製品の輸出であり、海外生産であった。英語だけでなく、ラテン語を祖語とするフランス語やスペイン語などの定義を見てみると(“globe”はラテン語で「球」の意)、いずれも世界規模での「相互依存」(interdepend-ence)、そして「相互連鎖」(interlinkage)という特徴を指摘している。つまり、日本で語られるグローバル化は一方通行(アウトバウンド)だが、世界では双方向(インタラクティブ)と考えられている。こうした認識ギャップのせいなのか、大半の日本企業のグローバル戦略と、いわゆるグローバルプレーヤーのそれは異なる。
日本企業は、いまだ前述の通りである。「組織は戦略に従う」といわれるが、世界をみずからの内に取り込む「経営のグローバル化」や「人材のグローバル化」が立ち遅れているのは、それゆえかもしれない。かたやグローバルプレーヤーは、グローバルならではの規模(スケール)、知の多様性と遍在性(世界中に散らばっていること)などを、まさしく戦略的に利用している。生産や調達は言うまでもなく、たとえばローカルの小さな成功を他の大きな市場に“移植”するなどして、規模の経済を享受している。また、新興国や途上国を、販売市場や生産基地としてだけでなく、創造的な知識やアイデアの源泉、または新しい製品や事業の実験場として積極的に利用し、イノベーションを生み出している(それをまた他の地域に移植する)。
ただしこれらの戦略は、一生懸命努力すれば実を結ぶという類のものではない。なぜなら、製品間、企業間の競争から、プラットフォーム間、ビジネスエコシステム間の競争へと、ゲームの性質が変わっているからである。当然ながら、こうしたプラットフォームやビジネスエコシステムの統治者(ガバナー)になれるかどうかが、勝敗を分ける。森本博行氏は、ソニーで長らく経営戦略に携わり、その後はビジネススクールで戦略論やビジネスモデルの研究者として教鞭を執ってきた。いわく「グローバル戦略はいま移行期にある」。本インタビューでは、日本企業の経営者が理解しておくべき、新しいゲームルールと競争優位の条件について考える。
グローバル競争の
「新しい現実」とは何か
編集部(以下青文字):日本企業のグローバル化は、「新しい現実」に直面しているようです。たとえば、人口減少による国内市場の縮小と飽和から、内需産業の多くが否応なく海外展開を迫られています。また、これまでのような製品や事業のグローバル化を超えて、経営と人材のグローバル化が必要ともいわれています。そして何より――中国経済の減速、イギリスのEU離脱といった変数も無視できませんが――ライバルや他業種とのコ・ペティション(協力する一方で競争もする)やクロスボーダーM&Aの常態化、新興国のミドル市場やBOP市場といった未開拓地をめぐる競争の激化など、新しいゲームにふさわしい知識と能力が要求されています。
森本(以下略):これまでの海外展開やマネジメントのあり方が大きく変わろうとしています。ピューリッツァー賞を3度受賞したジャーナリスト、トーマス・フリードマンは、著書『レクサスとオリーブの木』(草思社)の中で、こんな話を披露しています。
トヨタのレクサスの工場を見学し、先端技術を駆使したロボット生産に感嘆した彼は、東京に向かう新幹線を待っている名古屋駅で、パレスチナ騒乱の新聞記事に目を落とします。そして、オリーブの木(ノアの方舟から放たれたハトがオリーブの小枝をくわえて戻ってくるという『旧約聖書』の中の一節)が茂るパレスチナの大地をめぐって、2000年以上も前から争奪戦が繰り広げられている、という事実をあらためて嚙みしめます。
レクサスは、市場原理やイノベーションによって発展するオープンな経済社会の象徴です。かたやオリーブの木は、民族や宗教、文化など、独自のアイデンティティを意味しています。言い換えれば、グローバリズムとナショナリズムです。つまりフリードマンは、その両方が併存しているのが今日の世界なのだ、と問題提起したのです。グローバリズムには、各国経済が国境を超えて、相互に依存しながら全体最適を目指す、という経済合理性があります。ですから、独自のアイデンティティを守ることとは、おのずと相反する部分が出てきます。
この6月、イギリスはEUから離脱する決定を下しましたが、残留したほうが経済合理性にかなっていたはずです。しかし、独自のアイデンティティを求める感情のほうが強かった。グローバル経済を牽引する先進国のイギリスでさえそうなのですから、どこの国であろうと、人々の心には“オリーブの木”があるのです。