国内半導体業界13位のOKI(沖電気工業)は、同社の半導体部門を分社化して、同8位のロームに売却すると発表した。今回の決断の背景には、世界的な半導体市場の競争が激化していることに加えて、準大手クラスの企業にとって、多額の投資を維持することが困難になっているという事情がある。
かつて1980年代、「日の丸半導体」が世界市場で80%を超える高いシェアを握り、“世界の工場”と謳われた時期は、すでに遠い昔の話になってしまった。現在のわが国メーカーは、付加価値の高いCPUなどの分野で先進の米国企業の後塵を拝する一方、汎用性の高い低価格分野では、韓国・台湾企業からの追い上げに苦しんでいる。一部では企業同士の事業提携などが進んでいるものの、依然、世界的に見ると中・小企業のメーカーが林立する状況が続いている。今回の事業売却が、わが国の半導体業界再編における第二幕を開ける可能性は高いだろう。今後の各社の動向から、目が離せなくなりそうだ。
付加価値戦略で明暗
半導体産業失敗の構図
今から約20年前の1986年、“日米半導体協定”が締結された。今では、その協定があったことさえ覚えている人は少ないだろう。“日米半導体協定”とは、当時、昇る日の如く隆盛を極めていたわが国の半導体業界に対して、米国が一定の枠をはめることを意図したものだ。
具体的には、米国製ICのわが国でのシェアを5年間で20%まで引き上げ、日本製のDRAMの輸出価格を監視するという厳しい内容だった。それほど、わが国の半導体産業の勢いは強かった。1987年における世界の半導体メーカーの売上高ランキングでは、NEC、東芝、日立製作所が3位までを独占し、富士通が6位、三菱電機が9位になっていたほどだ。
ところが、協定が締結されてから約10年経つと、世界の半導体市場の様相は一変し始める。80年代から90年代にかけて、米国の主要企業の多くは汎用性が高いメモリ回路分野から撤退する一方、より付加価値の高いMPU(マイクロプロセッサ)などの論理回路に経営資源を振り向けていった。
人件費の高い米国企業は、経営戦略を転換して生き残りを図ったのである。改めて振り返ると、彼らの戦略は見事に成功することになった。汎用性の高いDRAMなどに固執したわが国メーカーは、その後、人件費の低い韓国や台湾のメーカーから、激しく追い上げられることになってしまう。