人種平等を巡る今夏の激しい議論は実のところ、ジョージ・フロイド氏に関するものでも、ミネアポリス警察の手で同氏が殺害された問題に関するものでもない。米国の政界において、フロイド氏に何が起こったのかだけを問うている向きはほぼ皆無だ。これはある程度、警察の行動に関する議論とも言える。だが、議論の核心は「構造的な人種差別」であり、広範なテーマを巡って黒人と白人の間に存在する深い隔たりだ。具体的には、構造的な差別がなお存在するのか、それは何を意味するのか、存在するならどう対処すべきかといったテーマが争点となっている。その意味で、ジョージ・フロイド氏の死は、同氏が息を引き取った8週間前には誰も想像することができなかったであろう、はるかに深淵(しんえん)かつ困難な議論を全米に巻き起こした。構造的な人種差別というテーマは、単なる人種差別的な行動、もしくは警察の越権行為といった問題よりも複雑であり、まして容易にコンセンサスを得ることなどできない。