上馬キリスト教会」というツイッターアカウントをご存じだろうか。
 名前から、教会の情報発信をこぢんまりと行っている……と思ったら大間違い。実際は、「『アーメン』を現代語訳すると『それな』、関西弁訳なら『せやな』ではなく『ほんまそれ』」といった、キリスト教を面白く伝えるツイートを連発する人気アカウントなのだ。
“中の人”は「まじめ担当」と「ふざけ担当」の二人組。牧師や司祭ではなく、この教会に通うふつうのキリスト教徒だ。日本ではタブー視されがちな「宗教」を面白く伝えるつぶやきがたちまち話題となり、NHKニュースなどの各種メディアで紹介された。フォロワー数はうなぎ上りに増え、今や10万を超える。
 そんな“中の人”の「まじめ担当」が「キリスト教の入門書ですら敬遠してしまう、超入門者」に向けて書いたのが『上馬キリスト教会ツイッター部の キリスト教って、何なんだ? 本格的すぎる入門書には尻込みしてしまう人のための超入門書』(MARO著)だ。現代の必須教養であるキリスト教について、基本知識からクリスチャンの考え方、聖書の大まかな内容にいたるまでを1冊で網羅した。
 本稿では、特別に本書から一部を抜粋・再編集して紹介する。

聖書を読んだつもりになるために

キリスト教を理解するには、聖書を読んでいただくのがいちばんなのですが、しかし聖書は分厚い! 長い! 読破には年単位の時間がかかります。

 そこでまずは、長い聖書のストーリーをざっっっっくりとダイジェストしてみます。今回ご紹介するのは、「ノアの箱舟」のエピソード。

 詳しくは知らなくても、何となく聞き覚えがある方も多い話かもしれません。

「ノアの方舟」をざっくり言うと…神様がろくでもない人間をリセットして、世界をやり直す話

https://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4478110859/diamondinc-22/Photo: Adobe Stock

 アダムとイブから何代か世代が過ぎると、地上に人が多くなりました。

 けれど、人は神様のコントロールから外れ、神様を無視して好き勝手に生きるようになってしまいました。

 神様のコントロールから外れるというのは、アダムとイブから始まった人間の罪です。

 これを見た神様は「人はあんまり長く生きるとロクなことをしない。それじゃ、人の寿命は120年ということにしよう」と決めました。そんなわけで、現代に至るまで、私たち人間の寿命はどんなに長くても120年くらいになっているわけです。

 しかし、その短縮された寿命でさえ、人は悪いことばかりやるので、神様はいよいよ怒ってしまいます。それで「このやろ。もう怒った。人間をつくったのは失敗だった。人間はいっぺん全部消してしまおう」と、洪水で地上のあらゆるものを流し去ってしまうことにしたのでした。

 でも、人間の中で一人だけ、神様に従ってまじめに生きていたノアという人がいました。神様はノアに言いました。

 「ノア、世界があんまりにひどいから洪水で滅ぼすことにしたんだけど、君だけは助けてあげる。と、いうわけで洪水に耐えられる方舟(はこぶね)を作って、君の家族と、あらゆる動物のカップルを1組ずつ、その方舟に乗せるようにしてね。方舟の設計はしておいたから、その通りに作ってね」

 私たちがいきなりそんなことを言われたって「またまた神様、ご冗談を~!」と信じないかもしれません。しかしノアは素直に信じました。信じてまじめにその設計の通りに方舟を作り上げたのです。

 方舟ができあがると神様は本当に洪水を起こし、世界のあらゆる陸地を水の下に沈めてしまいました。

 しかし、方舟に乗ったノアとノアの奥さん、三人の息子セム・ハム・ヤペテと三人それぞれの奥さん、あらゆる動物のカップル1組ずつは助かりました。

 そして神様はノアに約束しました。「もう二度とこんな、洪水でみんなを滅ぼすようなことはしないから、これから安心して暮らしなさい」と。

 そのときに、その約束の証として現れたのが虹です。ノアは世界で初めて虹を見た人なんです。

 壮絶な話でありながら最後はちょっとロマンチック。これが有名な「ノアの方舟」の大まかなストーリーです。

 ところで、神様に特別に選ばれたくらいなんだから、ノアさんはよっぽど品行方正な人だったと思いきや、実は意外と必ずしもそうではなく、洪水のあと酔っぱらって裸で寝て、それを見た息子ハムを「見ぃたぁなぁ~!」と呪ったなんていう理不尽な話も聖書にはっきりと記されています。

 若いころは立派な人だったのに、年をとってから言動がおかしくなって晩節を汚してしまうタイプの人って歴史上にちょくちょく出てきますよね。本書で紹介したソロモン王もそうですし、日本史なら豊臣秀吉がそのタイプと言えるでしょう。

 ノアもまた、そんなタイプの人だったのかもしれません。

 大事なのはそういう「不都合な事実」も聖書にちゃんと記されている、ということです。

 神様に選ばれた人間でさえ、人間である以上完璧なわけがなく、そういう人間臭い理不尽な行動をしてしまうこともある。それを聖書は示しているのです。

 本書で紹介している新約聖書の「義人はいない。一人もいない」という有名なことばは、「完璧に正しい人なんて一人もいない」ということを言っています。

 これはキリスト教においてとても大切なことなんです。