公用語化を阻む要因
単一言語にする方針によって、効率性が下がる影響が起こりうることは間違いない。楽天に関する私の研究、グローバルテック(仮名)に関するスタンフォード大学のパメラ・ハインズとジョージ・メイソン大学のキャサリン・クラムトンとの共同研究、フレンチ社(仮名)に関する私の研究から、英語をグローバルな公用語とする規定から生じるコストが明らかになった。
適切な導入方法を取ればリスクは緩和されるが、熟慮された計画でさえ落とし穴に遭遇することがある。よくありがちな問題をいくつか紹介しよう。
言語の変更は常にショックを与える
どれほど事前に注意を促し準備したとしても、言語の変更が現実に実施された時の社員への精神的打撃を完全に防ぐことはできない。
フレンチ社で働くマリー(本稿では、三木谷と伊東以外はすべて仮名)は、英語のみを公用語にする方針を最初に聞いた時には心が躍った。彼女はずっとフランス人以外の取引先と英語でやりとりしてきたので、この方針は同社がさらに国際化を進めていく前向きな兆候として受け止めた。しかしその興奮は、いつもはフランス語で開かれる定例会議に出席するまでのことだった。「この方針が発表された後の最初の会議が、本当に英語で行われるとは思っていませんでした。ショックを受けました」と、マリーは言う。
張り切って会議室に入ったものの、同時通訳のイヤホンが目に入ってきた時のことを、彼女は振り返って語る。「イヤホンを見るのは屈辱的でした。自分が勤めている会社なのに、会議の参加者というよりも、見学者のように感じられました」
ルールの遵守にムラがある
グローバルテックでは、英語の公用語化によってサービス担当者が問題に突き当たった。ドイツに本拠を置くこのテクノロジー会社には、世界じゅうに子会社があった。サービス担当者のハンスは、上司からの慌てふためいた電話を受けた。ソフトウエアの誤作動によって、主要顧客の数百万ドル規模の金融サービスのオペレーションが止まってしまったという。顧客とグローバルテックのいずれもに数十万ドルの損害が出る可能性があった。
ハンスはすぐにインドのテクニカル部門に電話を入れたが、ソフトウエア開発チームはこの問題に即座に対応できなかった。なぜならこの事件に関するあらゆるコミュニケーションはドイツ語で行われていたからだ。その2年前に英語だけを公用語とする方針が決定し、社内のコミュニケーション(会議、eメール、文書、電話)はすべて英語で行うことになっていたにもかかわらず、である。
資料が翻訳されるのをハンスが待つ間にも、危機的状況は悪化していった。実施から2年になるのに、英語の採用は遅々として進んでいなかった。
社員が自信を失う
ネイティブではない社員が英語でのやりとりを強いられると、どの程度英語ができるかにかかわらず、会社にとっての自分の価値が低くなったと感じるおそれがある。
フレンチ社のある社員は次のように語っている。「いちばん難しいのは、英語の話し手としての価値が、その人の実際の価値に影響することを認めなければならないことです。過去30年間、会社側は我々に外国語のスキルを育成しろとは言わなかったし、その機会も与えてくれませんでした。いまになって、自分は不適格だという事実を受け入れるのは厳しいことです」
単一言語にする方針に直面した社員は、いちばんよい仕事は、専門知識の深さとは関係なく、英語力の高い社員だけに提供されるのではないかと懸念することが多い。
グローバルテックが英語の公用語化に踏み切って2年後に、私は同僚とともに164人の社員にインタビューした。すると、70%近くの社員が相変わらず「わだかまり」を感じていることがわかった。フレンチ社では、英語が中級レベルの社員の56%と、初級レベルの社員の42%は、自分の英語力はかなり限定的なので昇進できるかどうか心配だと答えた。
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企業がただ英語の公用語化を発表し、語学研修を実施するだけで、体系的に言語の切り換えに取り組まない場合、社員がこのように感じるのはよくあることだ。社員が自己の能力を過小評価する、あるいは十分な英語力を身につけることの難しさを過大評価する傾向があることは、注目すべきである(図表1「英語力を評価する」を参照)。
雇用の安定が危ぶまれる
ほとんどの社員にとって英語力を十分に高めることは可能だったとしても、現実には、英語を唯一の公用語とする方針が採用されると、社員の職務要件は変更される。それも、一夜にして変わることもある。それを受け入れるのは、特にトップの業績を誇る社員には厳しいことかもしれない。楽天の三木谷は、英語力を高めなかった社員は降格させると明言していた。