では、なぜわれわれはこうも極度に他人に迷惑をかけることを恐れる「迷惑恐怖症」ともいうべき、変わったメンタリティを持つようになったのかというと、社会が悪いとかではなく、シンプルに「教育」と「しつけ」のせいだ。
みんなに迷惑をかけてはいけません。そんなワガママ言ったらダメでしょ。どうしてあなたはみんなのように我慢ができないの――。という感じで、われわれはこの世に生を受けてから、親や教師から徹底的に「周囲への迷惑=悪」という価値観を叩き込まれる。
こういう子どもが成長すると、みんなに迷惑をかけたり、自分勝手な振る舞いに対して激しい憎悪を抱くような大人になったりすることは、言うまでもない。このような大人は、迷惑をかける人間は「悪」なので、徹底的に叩いていいという信念がある。これがこの国に「自粛警察」や「マスク警察」という攻撃的な人が量産されていくメカニズムである。
このような「正義の市民」が増えると恐ろしいのは、自分たちの思想、価値観、社会通念と合わないものに遭遇すると、徹底的に排除しようというムードが高まることだ。つまり、「正義」から外れた主張、外れた行動をしている人たちを、よってたかって袋叩きにする恐れがあるのだ。
杞憂であればいいが、大坂さんへのバッシングは、その前兆ではないかという気がしている。
憧れのセリーナ・ウィリアムズも
かつてバッシングに悩まされた
ここでアメリカの黒人差別について長々と語ってもしょうがないが、黒人の女性テニスプレーヤーにとって、この話は「スポーツに政治を持ち込むな」で済まされるものではない。それは、大坂さんも少女時代から憧れていたセリーナ・ウィリアムズの歩みを振り返ればわかる。
2001年、BNPパリバ・オープンでセリーナ・ウィリアムズは、観客から凄まじいヤジやブーインングに晒された。準決勝で姉のビーナス・ウイリアムズと対戦するはずだったが、セリーナが怪我をすると姉が試合を棄権。これが「姉に勝ちを譲られたのではないか」とボコボコに叩かれたのである。その悪意の中に、「人種差別の強い雰囲気」を感じたとセリーナ・ウィリアムズは語っている。