全体は部分の総和にならない

人はなぜ「木を見て森を見ず」になってしまうのか出口治明(でぐち・はるあき)
立命館アジア太平洋大学(APU)学長
1948年、三重県美杉村生まれ。京都大学法学部を卒業後、1972年、日本生命保険相互会社入社。企画部や財務企画部にて経営企画を担当する。ロンドン現地法人社長、国際業務部長などを経て2006年に退職。同年、ネットライフ企画株式会社を設立し、代表取締役社長に就任。2008年4月、生命保険業免許取得に伴いライフネット生命保険株式会社に社名を変更。2012年、上場。社長、会長を10年務めた後、2018年より現職。訪れた世界の都市は1200以上、読んだ本は1万冊超。歴史への造詣が深いことから、京都大学の「国際人のグローバル・リテラシー」特別講義では世界史の講義を受け持った。おもな著書に『生命保険入門 新版』(岩波書店)、『仕事に効く教養としての「世界史」I・II』(祥伝社)、『全世界史(上)(下)』『「働き方」の教科書』(以上、新潮社)、『人生を面白くする 本物の教養』(幻冬舎新書)、『人類5000年史I・II』(ちくま新書)、『0から学ぶ「日本史」講義 古代篇、中世篇』(文藝春秋)など多数。

出口:シンギュラリティ(人工知能が人類の知能を超える技術的特異点)についての論争も同じように考えることができます。

「人間は物質の塊であって、人間の心や脳の働きも全部、化学変化などで説明できる」と考えるなら、シンギュラリティは起こるのかもしれません。

反対に、「人間は、物質を超えた精神性を持つので、要素に還元しただけでは人間を解明することはできない」と考えるなら、シンギュラリティは起こりませんよね。

「1+1+1=3」の世界なら、シンギュラリティは起こる。けれど、1+1+1が3にも5にもなる世界だったら、「全体は部分の総和にならない」ので、シンギュラリティは起こらない。

入山:ちなみに、出口さんはどちらのお立場ですか?

出口:僕は半々です。物質に還元されるような気がする一方で、脳の働きはまだ1割もわかってないのですから、1+1+1が3にも5にもなると思っています。

ですが、僕たちが「要素に還元しただけでは全体はわからない」と言っているのは現在の学問の地平がまだ無知の領域に留まっているからであって、科学がもっと進んだらすべてが解明されるのかもしれません。