文春長年、大手マスコミが黙殺してきた北朝鮮問題を、なぜ文春は伝えられたのか(写真はイメージです) Photo:PIXTA

文芸春秋に入社して2018年に退社するまで40年間。『週刊文春』『文芸春秋』編集長を務め、週刊誌報道の一線に身を置いてきた筆者が語る「あの事件の舞台裏」。長年、大手マスコミが黙殺してきた北朝鮮問題を、なぜ文春は伝えられたのか。(元週刊文春編集長、岐阜女子大学副学長 木俣正剛)

情報機関から持ち込まれた
北朝鮮の核開発情報

 今は、日常的に北朝鮮の核爆弾、核ミサイルのことが報道されていますが、30年前は北朝鮮や朝鮮総連についての厳しい報道は、大きなリスクがありました。「差別的報道」として、朝鮮総連の抗議を受けたり、記者自身が糾弾されたりすることも多かったからです。

 北朝鮮が核開発に手をつけたことをいち早く詳細に報道したのは、『週刊文春』でした。1990年11月29日号の「アメリカが警告。北朝鮮原爆工場の恐怖」というタイトルの記事です。私自身、記者生活でこれほどの機密性をもった情報にナマに接したのは、最初にして最後です。一緒に取材したのは、のちに作家となる麻生幾さんでした。

 日本の情報機関のある人物が、週刊文春に対して、絶対に他人に会わない場所を取材先にしてほしいと指定してきました。

 日頃から面会場所には気をつけていますが、今回は店への出入りも別々にできる場所を選びました。彼が持ってきた分厚いブリーフケースの中からは、衛星写真の地図と、そこに撮影されている核施設に関する仔細な説明がついていました。もちろん、日本の情報機関が独自に、こんな詳細な情報を入手できるわけがありません。直前に米国のブリーフイングチームが、日本政府の関係各部署を説明して回ったとは聞いていたので、ニュースソースが神経質になるのも無理はありません。

 施設については、基礎工事の段階からチェックして、壁の厚さや送電線の有無まで調査してあり、平和利用施設の可能性があり得ないということがわかります。コピーなどもちろん許されません。頭をフル回転させて暗記したことを覚えています。