『悩む力』が100万部を突破、待望の第2弾『続・悩む力』が出たばかりの姜尚中氏と、多くの書店でベストセラーのランキング入りしている『媚びない人生』著者のジョン・キム氏との対談の後編をお届けします。今、2人が伝えたいメッセージとは。(取材・構成/上阪徹 撮影/石郷友仁)
今の若い世代は、古い大人たちより、まともだ
姜 若い人、というのを一般化するのは難しいとは思うんですが、僕は日本の若い人に伝えておきたいことがあるんです。それは、僕たちの世代より、相対としての世代論でいうと、明らかにまともだと思う、ということです。これは、本当にそう思っています。
だから、僕は日本は決して捨てたもんじゃないと思うんです。ただ、そういう若者たちが今、かなり困難な時代にあることは間違いない。その意味で僕が注目したのが、『媚びない人生』の中にあった、不可抗力と、可抗力という言葉でした。
不可抗力をもし運命と言うなら、自然を含めた災害はどうしても避けられないわけです。ただ、それが人災になったとき、社会の在り方によって、捉え方は変わってくる。人間の作ったものであれば、変えられるわけですよね。不可抗力ではなく、可抗力にできる。
韓国と日本と比べたとき、なぜ韓国は自分におまじないを掛けるように、根拠のない自信を持とうとするのか。そうしたほうが、生きられるということなんでしょう。それはやっぱり、どこかで、人為は変えられるという意識が、強いんだと思うんです。
慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科特任准教授。韓国生まれ。日本に国費留学。米インディアナ大学博士課程単位取得退学。中央大学博士号取得(総合政策博士)。2004年より、慶應義塾大学デジタルメディア・コンテンツ統合研究機構助教授、2009年より現職。英オックスフォード大学客員上席研究員、ドイツ連邦防衛大学研究員(ポスドク)、ハーバード大学法科大学院visiting scholar等を歴任。アジア、アメリカ、ヨーロッパ等、3大陸5ヵ国を渡り歩いた経験から生まれた独自の哲学と生き方論が支持を集める。本書は、著者が家族同様に大切な存在と考えるゼミ生の卒業へのはなむけとして毎年語っている、キムゼミ最終講義『贈る言葉』が原点となっている。この『贈る言葉』とは、将来に対する漠然とした不安を抱くゼミ生達が、今この瞬間から内面的な革命を起こし、人生を支える真の自由を手に入れるための考え方や行動指針を提示したものである。
キム たしかに、それはあると思います。背景のひとつは政治体制です。日本は自民党体制が長く続いて、ある党が支配すると、なかなか変えられない、というイメージが強く根付いた。政治的な逆転、交代は、なかなかできないし、されてもこなかった。
ところが韓国は大統領選がありますから、5年ごとに政権が交代するわけです。体制というものは固定化するものではない、という意識は韓国の人たちの中に確実に植え付けられていると思います。ダイナミズムはものすごくありますし、時代が急変するときには、それに対して適応力を高めるという意味では、とてもいいと思っています。ただ、旧体制を破壊し過ぎて問題になっているところもあるわけですが。
一方の日本は、もちろん要因は他にもあると思いますが、体制というものを、人々が不可抗力と捉えてしまっているところがあるのではないかと思います。社会は自分たちでは、変えられないと思っている。これは、先生が『続・悩む力』でも指摘されていたことですよね。
僕は『媚びない人生』の中で、不可抗力は受け入れて、可抗力に集中するべきだ、と書きました。実際、自然災害もそうですが、不可抗力は運命的なところではある。それを変えることはできない。しかし、おっしゃる通り、不可抗力と可抗力の規定を間違えてしまうと、これはもうとんでもないところに行ってしまうのは、確かです。
姜 そうなんです。そこが、危険なところであり、注意すべきところなんです。
キム 今の日本社会は、自分たちが時間をかけ、作り上げてきたものです。そこに不変的に存在するものではないです。構築された社会ということは、意志や行動によって再構築も可能だということを意味します。ただ、日本では社会はだから、それは不変だ、変えられない。そんなあきらめが、たしかに充満している気がします。でも、だから壊せない、というのは、やっぱり言い訳だし、責任逃れだとも僕には思えます。
さらに、結果的に体制が固定化され、社会は変えられない、という状況が長く続いたことで、人々の間で、自分の力に対する不信感がものすごく高まっている気がします。そういう人たちが集まって、組織を作り、集団を作り、動いているわけですよね。それでは、なかなか変革は難しい。
その意味では、日本と韓国の間で、社会の変化という自己変革に対する自信の度合いが、ものすごく大きな差になっているといえるかもしれません。