グローバリゼーションの断面を世界的に普及する“スシ”という切り口から分析した『The SUSHI ECONOMY』がアメリカでベストセラーとなっている。世界14カ国のスシを自らの舌で味わった著者のアメリカ人ジャーナリストに、スシ経済の醍醐味を聞いた。(聞き手/『週刊ダイヤモンド』編集部 大坪亮)
『THE SUSHI ECONOMY』著者、サーシャ・アイゼンバーグ氏 |
今朝(6月23日)、東京・築地市場内の鮨屋でアジを注文したら「外国人なのに?」と驚かれた。“ヒカリモノ”、英語でブルーフィッシュ(青魚)を外国人は好まないことをその板前は知っていた。
今や鮨はグローバルな料理だが、ネタに対する好き嫌いは各地域でまちまちだ。アメリカ西海岸のカリフォルニアロール(アボカドを海苔で巻いた)は、ブラジルに行くとマンゴー巻きに変わる。フランスの鮨屋では、サケが欠かせない。
例外はマグロ。世界中どこでもいちばん人気だ。だから、需要量は年々高まり、価格は上がる。
ただし、江戸時代の日本ではマグロのトロは猫の餌になっていたという。1960年代くらいまではトロよりも赤身が好まれていたが、牛肉では脂身がおいしいというアメリカの食文化の影響を受けて、日本でもトロの人気が高まっていったというわけだ。
人の好みは刻々と変化しており、鮨ネタの需要が今後どう変わっていくかは予想がつかない。
供給面も変わっている。1970年頃のアメリカではマグロはスポーツフィッシィングの対象に過ぎず、釣り上げた後は廃棄処分されていた。それに目を付けた日本人が、飛行機で日本に運ぶことを考え出し、以来マグロは空を飛んで運ばれるようになった。
乱獲防止の漁業規制があるが、産地を隠してそれを逃れる“マグロ・ロンダリング”も発生している。1990年代に養殖も始まった。
こうした鮨、特にマグロをめぐる需要と供給の動きを追い、世界各地を取材して、『スシエコノミー』を著した。
鮨がグローバル化したのは、モノとしての新鮮な魚が供給可能になったからだけではない。人、つまり板前の需要も世界各地で起こり、日本から多くの板前が供給された。成功例の代表が松久信幸さんだ(アメリカの俳優ロバート・デ・ニーロらと和食レストラン「ノブ」を共同経営し世界各地で展開)。
彼が最初に異国の地ペルーで鮨を握った1970年代初め頃までは、板前は独特の階級社会で育てられ、供給数は限られていた。だが、世界各国で鮨の人気が出るようになると、一人前になるまで10年以上かかる日本の職人制度から抜け出し、若い板前が世界の鮨バーを目指した。需要の増加が供給体制を変容させたのだ。