アートの裏側「美術とお金」全解剖#7
Illustration by Yuuki Nara

美術を楽しむためにも教養として身に付けるためにも、過去に積み上げられた伝統を知ることは第一歩。そこで特集『アートの裏側「美術とお金」全解剖』(全10回)の#7では、#5の西洋美術史に続く第2弾として、縄文時代から明治時代まで続く、日本美術史の流れを一挙に紹介。中国、仏教、西洋など外からの影響を受けながら、日本独自の美術を生み出していった歩みを見ていこう。(取材協力/東京大学教授〈取材当時、現名誉教授〉 佐藤康宏)

「週刊ダイヤモンド」2017年4月1日号の第1特集を基に再編集。肩書や数値など情報は原則、雑誌掲載時のもの。

縄文時代から明治時代まで!
日本美術表現を復習

 欧米では、ビジネスパーソンの間で、アートが話題に上ることが多いという。そこに日本人がいれば、日本の美術について質問されるだろう。そんなとき、日本史を交えて、大きな流れの中で日本美術を説明できれば、説得力も増すはず。

 まず前提として、外部から日本美術に影響を与えたのは、何といっても中国文明と仏教文化だ。

 その点で言うと、縄文時代の文化は中国の影響を受けていないため重要。映画「E.T.」もびっくりのデフォルメされた土偶など、岡本太郎の言葉を借りるならば、日本独自の芸術表現が「爆発」している。

 弥生時代になると二つの大きな変化が起きる。一つは稲作の開始。富が蓄積されるようになり、権力者が生まれた。そして、階級社会化が進んで、土器も洗練されていく。弥生式土器は、縄文式土器に比べ、表面も滑らかでクールだ。

 もう一つは中国からの影響。大陸から移り住んだ人々によって、鉄器や青銅器がもたらされる。そして、鉄を調達できるような強大な権力を持った者が、その力を誇示するため、古墳や古墳に納める宝物などを作るようになった。