アートの裏側「美術とお金」全解剖#8
Photo:Bridgeman Images/JIJI

人気テレビ番組「開運!なんでも鑑定団」で国宝級の茶碗の鑑定について真贋論争が起きたように、今でも茶器は大人気だ。しかし、戦国時代には現代人も真っ青なほどのバブルが起こっていたのだ。さらに、あの織田信長の死には茶器が関わっていた。特集『アートの裏側「美術とお金」全解剖』(全10回)の#8では、戦国の世を席巻した「茶器バブル」の実態に迫る。(歴史紀行作家 中山良昭)

「週刊ダイヤモンド」2017年4月1日号の第1特集を基に再編集。肩書や数値など情報は原則、雑誌掲載時のもの。

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戦国を変えた茶器バブル

 豊臣秀吉が九州遠征を行った際、博多で当地の大商人で茶人でもあった神屋宗湛(かみや・そうたん)に招かれ、茶室でもてなしを受けた。

 その際、宗湛の所有する「博多文琳(ぶんりん)」(福岡市美術館蔵)と名付けられた茶入の名品を見た秀吉がそれを所望したところ、宗湛は笑いながら「日本国の半分となら交換致しましょう」と答えて、秀吉も苦笑しながら諦めざるを得なかったという。

 後に福岡藩主となった黒田家が購入し、現在に伝わるが、その代償として黒田家が提示したのは、金2000両と、知行500石であった。現在の価値でいえば、3億~4億円プラス永久年収2000万円保証という感覚であろう。

 また、秀吉の九州遠征の際、最後まで抗戦した秋月氏は、同じ博多商人の島井宗室から脅し取った「楢柴肩衝(ならしばかたつき)」と呼ばれるやはり茶入の名品を所有していたが、これを秀吉に献上して、取りつぶしを免れた。その価値は銭3000貫とされる。銅銭で約10トンに相当し、やはり現在の価値では数億円だったと考えられる。

 秀吉に関しては、呂宋(るそん)壺というエピソードもある。いわゆる呂宋助左衛門こと納屋助左衛門がフィリピンから50個を持ち帰った、元は中国南部で日用品として製作された壺を茶壺として気に入り、千利休に鑑定させた上で、諸大名に高値で売って、助左衛門は大富豪になったというものである。