修正を重ねてきたはずの資本主義が、どうしようもない大きな不平等を生み出している。アメリカで顕著になっている社会の分断も、実際には二極化ではない。「経済人」的パラダイムを引きずるワシントン的思考と、非合理であっても自由を求める「自由人」と、たまりにたまった不平等の解消こそが第一と考える「平等人」の3分断であり、自由人と平等人はいずれも経済人的思考の限界から生まれた異母兄弟と考えるほうがよいのかもしれない。

 また、物財やサービスを中心とする産業構造が、データや人工知能を利用するデータ資本主義の段階に突入し、これらが既存の物財・サービス産業に影響を及ぼし始める時代に突入している。その結果、既存の産業政策と統治の方法がマッチしなくなっている。しかし、一方では、これまで判明していなかった因果関係が明らかになり、予測のレベルが大きく上がることで、これまでよりずっと効率性の高い社会が実現可能になろう。

 その際に、個人の私権(自由)が全体最適のために制限される局面も増えるだろう。多少のナッジ(自発的に自分で選んだかのように望ましい選択や行動をさせる工夫)でそれらの問題が解決できるのか、それとも公共の福祉や全体最適のために個人の自由が大幅に制限される社会に変わっていくのか。いずれもあり得ることだろう。

 さらには、気候変動という人類史上最大の魔物との対峙が始まっている。一部には、因果性を疑う声もあるが、地球の温度上昇と産業発展との関係はほぼ確実であろう。未曽有の台風、消せない山火事、隠れていた病原菌の再活性化などが予測される。これらへの対処は、SDGsといった免罪符のレベルでは対応できず、経済活動を強力に制限して抑え込むべきだという思想が強まるのではないか。それは利潤動機の資本主義をストップし、地球環境の維持を動機とする計画経済(のようなもの)を求める世界的運動になることを指す。この場合は、人々を「経済人」ではなく、「環境人」と呼ぶモデルかもしれない。

 これらは、我々が直面しているほんの一部の問題に過ぎない。実は、このような現象の羅列ではなく、動きの本質を見抜き複雑な因果関係を整理し、その根本的な運動法則を一言で言い放つとともに、その必然的な結果を断言してきたのがドラッカーだった。

 今ほどドラッカーの見立てを聞いてみたいときはない。亡くなって15年以上もたってしまった。ドラッカーだったらどう考えるか。それを想像するしか、我々にできることはないのがとても残念である。

(プリンシプル・コンサルティング・グループ株式会社 代表取締役 秋山 進、構成/ライター 奥田由意)