コロナ禍という大変化の時代において、世界ではフィルターバブルやフェイクニュースの問題、さらには民主主義の行き詰まりといった世論形成をゆるがす危機が起きている。アメリカのジャーナリストであるウォルター・リップマンは、1922年に著した『世論』で、すでにこれらと同様の問題を指摘していたというが、私たちはこの激動の時代の中で、どうものごとを捉えれば、偏っていない見方や判断ができるのか。
直感でわからないことを
正しく判断できるのか
世論調査なるものがある。主にコンピュータ音声の質問に電話で回答する。
「消費税減税は行うべき?」「PCR検査はもっと大規模に行うべき?」「内閣の安全保障に関する○○政策を支持するか?」「女性天皇を容認するか?」……
政策の背景説明や、具体的な方法や、暫定的なのか恒久的なのか、基本情報さえ無視して、ただ、YESかNOかを尋ねられる。結果が、賛成何%、反対何%など「世論」として報道される。
多くの人が「なんとなく」答えているのではないかと思われる、こうした調査結果は直感的な民意の反映ではあるのだろう。しかし、このような世論に価値があるのだろうか。
いや、世論調査に限らず、私たち誰もが日々の判断を、いちいち考えうるあらゆる状況を勘案して行っているわけではない。平時ならよいが、そんなおぼつかないことで、この大変化の時代を乗り切ることができるのだろうか。
約100年前に書かれたウォルター・リップマン『世論』には、上記のような問題をはじめ、SNSで問題になっている「フィルターバブル」やフェイクニュースと同様の問題点や、民主主義が行き詰まる状況までもが指摘されており、リップマンは100年先を見通す目を持っていたかのようだ。今回は『世論』を読み解きながら、ニューノーマル時代を生き抜くために、われわれは今後ものごとをどのように考え、判断し、意思決定すべきなのかについて考えてみたい。