スピーカーとリスナーで分断するか、しないか

 クラブハウスの普及は、その招待制と「FOMO」と呼ばれる射幸心をあおる仕組みが存在しているためだと、多くの人たちが指摘している。

「FOMO」とはFear of Missing Momentの省略形(要するに「参加し損ねることへの恐怖心」)だが、例えば、「ライブで交わされているセレブ同士のレアな雑談に参加したい!それを聞き逃したくない!」というような気持ちを生む。初期クラブハウスは、人を惹きつける「FOMO」のメカニズムを見事に利用していて、普及に火を付けたと言える。

 だが、多くの人たちが指摘しているように、その「FOMO」のメカニズムは大きな声を持っているスピーカーとリスナーたちの間に解消しがたい人の格差と分断をもたらしかねない。

 一方、我々が開発するダベルでは、話者と聞き手の間の分断はほぼ存在しない。

 なぜなら少人数で語り合う「グローバルな井戸端会議」として設計開発されているダベルでは、話し手と聞き手の距離が極めて近いのだ。それは放課後の部室とか、オフィスでは給湯室とかたばこ部屋のような解放区なのだ。

 セミナー会場やカンファレンスホールにいるビジネス感覚のクラブハウスと、ファミレスやカフェ、それこそ銭湯でくつろいでいるようなアットホーム感覚のダベル。機能セットは一見よく似通っていても滞在中の感覚は相当違う。

実名性の息苦しさに耐えきれず、沈黙するほかない人たち

 クラブハウスは基本的に実名性を奨励している。だからこそ、SMSで招待するという仕組みをとり、アプリ利用直後から、現実社会のつながりに則った、ユーザーがユーザーを育成する(同僚同士とか先輩後輩とか上司部下のような関係性を生かした)といった導線が綿密に張り巡らされている。そして、そのことが驚異的な最初のユーザー体験に結実している。

 例えば、あなたが会社の先輩のAさんに招待された場合、アプリに参加する際にその参加の通知がAさんに届くだけでなく、ほぼ自動的に、Aさんと最初の雑談ができるルームまでが作成されるのだ。この初期導入の仕組みはクラブハウスの醍醐味でもある。

 ただ、だからこそ声という人の人格をそのまま体現しているとも言える音声ソーシャルネットでは、実名性の前提はあまりに生々しくて、重すぎると言えなくもない。

 例えば、会議でも発言の際に目上・目下や上司・部下などの関係性を強く意識せざるを得ない日本のビジネス社会では、それは特に重い行動の足かせになるとも言えるだろう。

 気軽に人の悪口を言うようなことは現実社会でも当然災いを呼びやすいが、クラブハウスではそのインパクトはより広まりやすいし、強い。どこで誰が聞いているのかということが分かりにくいので、思わぬ失言で予想できないようなトラブルが起こるかもしれない。現実にアメリカでは、ニューヨークタイムス記者も巻き込んだ一連のスキャンダルにまで発展してしまったことが、2020年にニュースになっている(参照)。

 一方、ダベルは実名制を採用せず、匿名でも使い続けられる。要するに音声ソーシャルの空間内だけで別人格を演じることも、本人がやろうとすれば出来る。その自由さや開放的な気分はダベルの持ち味の一つだと考えている。