総務省接待問題国民から見た、総務省接待問題とかつての大蔵省事件との違いとは(写真はイメージです) Photo:PIXTA

広がり続ける総務省接待問題の波紋
大蔵省接待汚職事件と状況はどう違うか

 今、官僚は使い捨ての時代です。山田真貴子内閣広報官に続いて、総務省の次期事務次官候補だったエリート中のエリート、谷脇康彦前総務審議官が辞任しました。文春砲で狙い撃ちされたNTTとの接待問題で、「国民に迷惑をかけ、行政に対する信用を失墜させた」ことが辞任の理由です。

 これから先も、総務省接待問題をめぐる騒ぎは続くと思います。ヘタをすると武田良太総務大臣の辞任までいくかもしれませんが、その場合もあくまで一身上の理由であって、詳細は説明されないまま、この問題は幕引きでしょう。

 官民の接待問題といえば、1990年代に大問題となった大蔵省の接待汚職事件が思い浮かびます。バブル崩壊後に積み上がった100兆円規模の銀行の不良債権を隠し、最終的に国民の税金を注入してこれを解消する背景に、銀行が大蔵省銀行局幹部をノーパンしゃぶしゃぶなどで接待し「お願い」をしていたことが判明し、国民の怒りが頂点に達しました。最終的にこの事件は、伝統ある大蔵省の名前が消えることで幕引きとなります。

 谷脇氏ほどの実力者が、ここで官僚としてのキャリアを終えなければならないということ自体は、総務省にとって実に重い幕引きで、それだけ重大事件であるという認識はあるわけです。一方で国民感情としては、この事件がかつてほど大きな問題になっていないように見える理由は何なのでしょうか。

 その違いは、今回の総務省接待問題には、90年代の大蔵省接待事件と比べ、国民にとって大きな不利益がないことです。

 より正確に言えば、政治に対する国民感情には2種類あって、1つは「何であろうと不正は許せない」という正義の感情と、もう1つは「政治家なんだから多少の不正はあるのだろうが、それでも私腹を肥やして国民を犠牲にすることは許せないと」いう利害にかかわる感情です。