2001年にノーベル生理学・医学賞を受賞した生物学者ポール・ナースの初の著書『WHAT IS LIFE?(ホワット・イズ・ライフ?)生命とは何か』が、世界各国で話題沸騰となり、2021年には日本でも発刊された。
ポール・ナースが、生物学について真剣に考え始めたきっかけは一羽の蝶だった。12歳か13歳のある春の日、ひらひらと庭の垣根を飛び越えた黄色い蝶の、複雑で、完璧に作られた姿を見て、著者は思った。生きているっていったいどういうことだろう? 生命って、なんなのだろう?
著者は旺盛な好奇心から生物の世界にのめり込み、生物学分野の最前線に立った。本書ではその経験をもとに、生物学の5つの重要な考え方をとりあげながら、生命の仕組みについての、はっきりとした見通しを、語りかけるようなやさしい文章で提示する。
養老孟司氏「生命とは何か。この疑問はだれでも一度は感じたことがあろう。本書は現代生物学の知見を十分に踏まえたうえで、その疑問に答えようとする。現代生物学の入門書、教科書としても使えると思う。」、池谷裕二氏「著名なノーベル賞学者が初めて著した本。それだけで瞠目すべきだが、初心者から専門家まで読者の間口が広く、期待をはるかに超える充実度だ。誠実にして大胆な生物学譚は、この歴史の中核を担った当事者にしか書けまい。」、更科功氏「近代科学四百年の集大成、時代の向こう側まで色褪せない新しい生命論だ。」、さらには、ブライアン・コックス(素粒子物理学者 マンチェスター大学教授)、シッダールタ・ムカジー(ピュリッツァー賞受賞の医学者 がん研究者 コロンビア大学准教授)、アリス・ロバーツ(人類学者 バーミンガム大学教授)など、世界の第一人者から絶賛されている。発売後たちまち5万部を突破した本書の魅力について、市原真氏(病理医ヤンデル @Dr_yandel)に寄稿していただいた。(初出:2021年4月2日)

「生命科学本の中で過去最高」…圧倒的な知性が書いた震えるほどの名著【書籍オンライン編集部セレクション】Photo: Adobe Stock

ようやく出会えた一冊

 生命科学について書かれた書籍には、ある種の「類型」が存在する。最もよく見かけるパターンは、はじめに「多くの人が抱えている根源的なギモン」が提示される、というものだ。「人はなぜ老いるのか」、「記憶の正体とは」、「がんにかからずに暮らすことはできないのか」といった、些か壮大すぎるテーマがズバンと示される。書籍の帯に書かれていることも多いし、そのものズバリ、本のタイトルになっていることもある。

 序論で読者をワクワクさせておいて、本論に入る直前に、「ギモンを細かく分解していくと、結局は○○にたどり着く」といった、やや強引な因数分解が行われることが一般的である。「老いをわかるためには細胞生物学です、中でもp16タンパクを知ることからはじめましょう」とか、「記憶の概念を理解するにあたり、マウスの海馬を用いた実験の話をします」とか、「がんと言ってもいろいろありますが、子宮体がんの培養細胞について語りますね」と言った具合に。

 このような、「でかい話をすると見せかけて、分解しまくって、一部分を細かく突っつき始めるライフサイエンス本」にモヤモヤすることがある。「パソコンがなぜ複雑な計算をいとも簡単にこなすのか、知りたくありませんか? では今日はパソコンを支えているバッテリーのリチウム電池についてお教えしましょう」。うっせぇわと思う。

 結局、著者が詳しい話、演者がしゃべれる話をしているだけなんだよなあ、みたいな感覚。

 本当に知りたかったコアにたどり着く前に終わっちゃうよね、みたいな諦念。

 真の意味で生命科学を広く語る本なんて、めったに出会えない。

 でも、無理もないことかもしれない。とかく生命科学の裾野は広すぎる。学者、研究者、医療関係者、みんなが自分の両手に収まる範囲で分業して、せーので一斉にすったもんだしているのが現実だ。全貌を語れる人なんて、どこにいるというのか?

 ニヒルにあきらめていた矢先に、「WHAT IS LIFE?」などというクソデカタイトルの本を目にした私は、アーハイハイまたそういうやつね、と苦笑するほかなかった。「生命とは何か」とはこれまた巨大なテーゼをぶち上げたもんだなあ! 著者は英国の研究者ポール・ナース。どうせ、彼の十八番である酵母の話にどっかで結びつけて、それっぽく終わるんだろうな、なんて、実のところ、もう、完全に、飽き飽きしていた。予想は付いていた。期待なんてしていなかった。

 でも。

 本書は「生命とは何か」に向かって、幅広く、かつ、まっすぐに、知性豊かに迫る。頑なになっていた私の心が少しずつ開かれていく。