事件や事故は必ず風化する

 大きな事件や事故があってしばらくが過ぎた頃、風化させてはならないとのフレーズをよく耳にする。気持ちはよくわかる。でもそれは無理だ。あらゆることは風化する。それは当たり前のこと。ものは壊れるし人は死ぬ。事件や事故の直後には決して消えないと思われた悲しみや怒りは、年月の経過とともに薄くなる。人はそのようにできている。

 もしも忘却という機能がなければ、人は正常な意識状態を保てなくなるはずだ。悲嘆や苦痛、屈辱や憎悪などがいつまでも乾かないままに堆積し続けるならば、人の意識の床はその重さに耐えられない。おそらくは数年(数ヵ月かもしれない)で底が抜ける。つまり壊れる。

 だから風化は仕方がない。しなければ困る。

 問題はどのように風化させるかであり、どのように残す(記憶)するかだ。例えばオウム。地下鉄サリン事件からはもう17年が過ぎた。事件翌年に生まれた長男はすでに高校生だ。これほどの時間が過ぎている。ならば風化することは当然だ。

 でもこのままの形で風化すべきではない。なぜなら彼らがサリンを撒いた(不特定多数を殺傷しようとした)理由を、この社会はまだ解明できていない。つまり動機がわからない。しかも解明できていないとの意識を、ほとんどの人は持っていない。彼らが狂暴で凶悪だからとか、麻原から洗脳やマインドコントロールされていたからなどの浅いレトリックによって、何となく納得したような気分になっている。

 確かに実行犯たちが「麻原から指示を受けたからサリンを撒いた」ことは明らかだ。でもならばなぜ、麻原がそのように指示を下したのか、何を狙い何を目的にしていたのか、その理由や背景がわからない。わからないのに裁判は一審のみで確定した。早く麻原を処刑せよとの声に、司法とメディアが従属した。

 当時の麻原は教団内においてはカリスマとして権勢をふるい、多くの知識人やタレントから宗教者として高い評価を受け、まさしく絶頂期を迎えていた。ところがサリン散布の指示を下す。しかも、事件を起こせば教団は壊滅して自分は弟子が一人もいない場所で死んでゆくことになると、複数の側近たちには(事件前に)述べている。

だからわからない。なぜ指示を下したのか。なぜ事件は起きたのか。