南アフリカ国内にある
2つの小さな独立国

 2010年にサッカー・ワールドカップを開催し、日本でもグッと身近になった南アフリカ共和国。この国を地図で見ると、2つの小国が南アフリカにすっぽり囲まれた状態で存在していることに気づく。一見、湖とカン違いしそうだが、どちらも立派な独立国だ。

 ひとつはレソト王国という。面積は約3万平方キロで、岩手県の約2倍の大きさ。国土全体が1400メートルを超える高地であることから「天空の王国」ともいわれ、冬はスキーができる。もうひとつはエスワティニ王国。面積は四国よりやや小さく、「アフリカのスイス」といわれるほどの美しい自然に恵まれている。2018年まではスワジランドと呼ばれていた。

 レソトとエスワティニ、これら2ヵ国には共通点がある。どちらも“黒人の王国”という点である。

 歴史を遡ると、レソトが誕生したのは18世紀のことだった。黒人のソト族がこの地に移住してきて王国の基礎を築き、モショエショエという王が国をまとめた。やがて植民地化をもくろむオランダ系白人のボーア人が近づいてくると、国王はボーア人を追い払うため、オランダと対立関係にあるイギリスに救援を求めた。

 イギリスはこれを受け入れ、レソトを保護。レソト国内における白人の土地所有を禁止した。その結果、レソトはオランダによる植民地化の危機から守られ、南アフリカ共和国国内で領土を確保することができたのだ。

 一方、エスワティニは19世紀はじめにスワジ族が築いたとされる。レソト同様、ヨーロッパ諸国による植民地化の圧力にさらされ、1902年にイギリスの保護領となったが、イギリスはスワジ族の主権を剥奪しなかった。そして彼らの伝統的支配を残しながら間接統治を行なった。

 こうしてエスワティニはイギリスの保護領であり続けたため、南アフリカ共和国に吸収されることなく独立を勝ちとることができたのである。

 南アフリカ共和国は長らくアパルトヘイト(人種隔離政策)体制を敷き、白人による黒人支配を続けてきた。その悪名高い政策の犠牲になるのを避けられたという意味でも、レソトとエスワティニは幸運だったといえるかもしれない。