軽んじられない潜在的なアンチ

 さらに、潜在的なアンチもいる。毎日のようにネガティブな意見を発信しているアンチならまだわかりやすいが、普段は批判的な意見を発信しないのに、ひとたび炎上が始まったり、誰から見ても明らかな過失があったりする場合に批判に加勢する層もいるのだ。

 たとえば、有料のコンテンツ配信サイト「cakes」で写真家の幡野広志氏が担当していた「なんで僕に聞くんだろう。」は、昨年から2回の炎上を経て、5月末で終了した。広告代理店から発注を受けてホームレスとデートする内容のコラムをnoteに発表していた、しまだあや氏には批判が殺到して、謝罪文を公表している(参照:ユーザー爆増の「note」「cakes」炎上、他人事ではないメディアへの教訓)。

 この2人に共通しているのは、熱狂的なファンがいる一方で、「なぜそんなに支持されるのかわからない」と違和感を持つ人が一定数存在していたことだろう。違和感を持つ人たちの多くは目立った批判をせずに静観し、ひとたび「たたける」要素が発見されたときに、集中して批判した。

 幡野氏やしまだ氏を重用した編集者や代理店の関係者は、隠れアンチの存在を甘く見積もっていたのではないか。わかっていればもう少し慎重な発信を行ったはずである。幡野氏の炎上は2回目だったし、ホームレスを観察対象にする企画は昨年も炎上例があり、少し批判的な視点でチェックすれば防げる炎上だったはずだ。

 一部の業界人が過大に持てはやし、そこに違和感を持つ人がいれば潜在的なアンチは増える。「分不相応に持ち上げられている」と見えないようにすることがインフルエンサーや書き手を守る手段のひとつであるはずだが、2010年代後半から続いているのは、広告・PR業界などが安易にフォロワー数の多いインフルエンサーに頼り切り、アンチの存在を甘く見積もり、リスクをインフルエンサーに負わせ続けている状況だ。

内輪感、一歩外出りゃ総スカン

 ツイッターやFacebookでは、「〇〇さんが登壇されました!」「〇〇さんの新作、エモい!」といったヨイショを頻繁に見かける。

 そのように業界全体を盛り上げていくことも必要ではあるだろうが、広告代理店の仕掛けを含め、「インフルエンサー界隈」の内輪感に辟易(へきえき)している層もいるのだ。単に身内の中で「エモい」「スゴイ」と言い続けているうちに、リスク管理がおざなりになっていないか。

 自分たちに向けられている視線がどのようなものなのか、振り返ってみたことがあるか。否定的意見を「フォロワーの少ない一般人の意見は取るに足らない」と無視してきたツケが、最近の炎上ではないのか。ファン向けイベントで支持を得られたことだけが全てになってしまっていないか。その辺りをこの際、代理店の知人らにも小一時間問い詰めてみたい。