重光が貫いた2つの行動原則と4つの経営原則

 重光武雄が経営者として貫いた行動原則が2つある。責任経営主義と会社優先主義である。

 責任経営主義は、前出の「人に迷惑をかけない」という経営哲学とも関係するものだが、ロッテグループの最高責任者として、赤字が発生すると自ら責任を取った。2000年代に韓国のロッテグループの系列会社で赤字が発生したときは、自分の所有する約3617億ウォン相当の株式を贈与したのもその実践の一例である。

 かたや会社優先主義はロッテグループ各社の資本の持ち分所有構造と関連がある。株主の変更が頻繁に発生すると経営陣も揺れやすく、長期的かつ安定的な経営が難しくなる可能性が大きい。そこで、重光個人が手放すときにはグループの法人に株を移転していった。例えば、2000年代に個人名義で所有していた韓国のロッテグループ系列会社の株式約2785億ウォン相当を、資金的に余力のあるグループ会社に売却したこともある。

 重光が生涯貫いた2つの行動原則と同じく、実践し続けたのが4つの経営原則である。日本のロッテ副会長として、重光の経営を間近に見てきた長男の重光宏之がまとめたものを順に見ていこう(*4)

 一、無配当または配当最小化

 会社の利益を株主に配当するより、ロッテグループのために各社が内部留保した。これはグループ最大の個人株主だった重光が、自らの利益より会社の利益を優先したということでもある。

 二、株式非上場

 重光は上場を非常に嫌がった。株主総会でひな壇に上るようなことは好きではないし、日本で上場すると日本の会社になってしまう(から上場しない)という信念からでもあった。業績について言い訳をするのも嫌だし、責任は自分で取ればいいと考えていたからでもある。2020年末時点でも、日本のロッテのグループ会社に上場企業は一社もない。

 一方、韓国のグループ会社の中には上場企業が8社ある。重光は韓国政府の要請によって、ロッテ製菓(1973<昭和48>年)、湖南<ホナム>石油化学(91<平成3>年/現・ロッテケミカル)を上場したことがある。2006(平成18)年には二男・重光昭夫の説得でロッテショッピングを上場した。残りの5社は、すでに上場されていた企業を買収しただけだ。

 三、韓国の利益を日本に送らない

 基本的に、効果の大きいところに投資するのが大原則だった。その点で、少なくとも20世紀の間は日本よりも韓国の方が投資効果は高かったし、その後は海外に目を向けたこともある。

 朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の要請に応じて石油化学事業参入を目指した1966(昭和41)年から韓国のロッテに莫大な投資を始めたが、日本のロッテは2000(平成12)年まで1ウォンも配当を受けていなかった。すると、日本の国税当局は利益配当が全くない事実、韓国のロッテが「ロッテ」という商標を使用しているのにその使用料を受け取っていないという理由を挙げて、日本のロッテに税務調査を実施した。これ以降、2005(平成17)年頃から韓国のロッテグループは最小限の配当金を日本のロッテに送金するようになった。

 四、節税はしても脱税は絶対しない

 2016(平成28)年9月、韓国の検察当局は、脱税の疑いについて重光に対する訊問が可能かどうか判断するために検事を派遣した。この席上、重光は次のような発言をした。

「脱税をしろと、私がそんなことを指示したことはなく、絶対にそんなことはしていない。なんでも合法的にしなさいと(言ってきた)。ちょっとでも脱税をすると、発覚したとき社会的な問題になる。それが新聞に出るようになると、非常に恥ずべきことじゃない(ですか)。ロッテは脱税したことがない。もしうちの社員が脱税したならば、後で分かるようになったら本人も罰せられるじゃない(ですか)」(90歳代半ばで発言に不明瞭な点もあったため、カッコ内の言葉を補足した)。

 重光は税に関する知識は豊富だった。韓国が税制を整える際にはアドバイスをしていたほどで、脱税などといわれることは心外だったに違いない。ただ、国家間の二重課税の問題に対しては、「税の精神に反する」とよく言っていた。右のポケットか左のポケットかの違いというたとえをしながら、国際企業にとって、どこで使うかはそのときの判断なのだというのである。

 以上の2つの行動原則と4つの経営原則が重光の経営哲学の根幹を成していた。これに、オーナー経営による重光のリーダーシップがロッテ経営を成功へと導いていくのだった。

*4 『私の父、重光武雄』(未訳) 重光宏之 2017年