酒類の提供制限は、客単価の低下を通じて店の採算を苦しくして、席間確保や人数制限を難しくする。居酒屋やクラブだけでなく、レストラン、ビストロ、和食店、焼鳥店、すし店など、多くの業態で酒類提供抜きではビジネスモデルが成立しないケースが多々あるはずだ。

 また滞在時間を90分までとされると、例えばフルコースをゆったり楽しむことは難しい。顧客の側はせっかくの料理を十分楽しめないし、店側では本来高いお金を払ってくれるはずの客から十分もうけることが難しくなる。共に小さくない損だ。

 この制限を真面目に守る店がどれだけあるかは疑問だが、「90分の制限のおかげで、客の回転率が上がってうれしい」と思う店はほとんどあるまい。

 食事と酒を合わせることも食事をゆっくり楽しむことも、食文化の根幹に関わる問題だ。西洋料理はワインと不可分一体なケースが多々ある。そして、多くの種類の酒と相性のいい和食は素晴らしい。広く外国由来の食事や酒を嗜むことも含めて、わが国の誇るべき食文化だ。酒類提供の制限は、食文化への抑圧でもある。

 もちろん、食事と関係しないお酒の楽しみもあり、酒を嗜むことにまつわる酒文化も重要だ。例えば、バーで静かに飲む客が感染リスクを深刻に高めているとは思えない。

 十把ひとからげに飲酒を制限するのはルール設定として「がさつ」だし、もはや「意地悪」の域にあるといっていいのではないだろうか。

ルールの形骸化と社会の分断
科学的根拠の提示と納得いく説明はなし

 感染症流行の下では自分の選択と行動が、自分の利益・不利益だけでなく他人の利害にも影響する。そのため、個人の自由と幸福追求の権利が制限されるケースが生じるのは、やむを得ない場合があるのは分かる。