累計15万部を超えた法律入門書のベストセラー・シリーズ『元法制局キャリアが教える 法律を読む技術・学ぶ技術』の著者が最も身近なのに、もっともややこしい法律の問題にわかりやすく答えます。数ある法律の中でも、資格試験や仕事上の関係で勉強する人の数が多い「民法」が今回のテーマ。民法は、売買契約や親子関係といった身近なテーマを扱う法律なのに、実際の問題となると、どうしてこうもややこしくてわからなくなってしまうのでしょうか? 実はそこにはシンプルな理由がありました。シリーズ待望の新刊『元法制局キャリアが教える 民法を読む技術・学ぶ技術』を書いた著者、元法制局キャリアの吉田利宏さんがその理由を明快に教えてくれます。
学校の民法の授業は難しすぎました
大学での民法の最初の講義が忘れられません。その日の話は「民法の法源」でした。一生懸命、先生の話を聞いていたつもりですが、そもそも「法源」という言葉さえ理解できませんでした。
あまりにも不安になって、講義のあと、教卓の先生に質問に行きました。「先生、法源ってなんですか?」と。すると先生は少し悲しそうな顔をして、ある民法のテキストの名を黒板に書きました。先生は「教科書のほかに、このテキストを読んできなさい。それでもわからなければ、質問に来なさい」と言いました。最前列で授業を聞く取り巻きの女学生たちが侮蔑の目を投げかけます。この日、法源の意味はわからずじまいでした。
さらにいえば、先生がすすめてくれたテキストにも法源という言葉自体の説明はありませんでした。私の民法総則の学習はその日で終わりました。
ちなみに、法源というのは、「裁判において裁判官の基準となるもの」という意味です。「民法の法源」というのは、「一般の人どうしの関係において裁判上のルールとなりうるもの」というくらいの意味でしょうか。
法律という学問というのはそういうものなのかもしれません。しかし、当時の大学の講義は少し敷居が高すぎました。先生たちの書く法律書は理解するのに骨が折れました。一方、資格試験用のテキストはまだわかりやすいのですが、「まずは理屈抜きで覚えてください」的な雰囲気が漂っています。「どうして?」と疑問を挟むことさえできない学習には少し抵抗を感じました。
司法試験を目指すこともなく、大学の講義を半分ぐらい出席し、試験の勉強だけをして公務員になりました。就職したのは衆議院法制局という役所でした。職員として数年間、役に立ちませんでしたが、ここで、初めて、「法律」というものを学ばせてもらった気がします(楽しさも含めて……)。
法律を学ぶということは、世の中の正義のストライクゾーンの感覚を身に付けるということだとわかったのです。このときに、自分なりに理解したこと、理解するための方法として取り入れたことを『法律を読む技術・学ぶ技術』、『法律を読むセンスの磨き方・伸ばし方』(いずれもダイヤモンド社)として著しました。自分と同じように法律学習に苦労しているたくさんの読者のみなさんに両書を届けることができ、とても嬉しい気持ちでいます。
そこで今度は、『民法を読む技術・学ぶ技術』をお届けします。
2つの価値の微妙な調整こそが民法の最大のポイントです
民法は、ビジネスシーンにおいても、そして様々な資格試験においても、中心となる法律です。「ものにしたい」と思いつつも、思うように学習が進まないみなさんも多いのではないでしょうか。ここだけの話ですが、私も民法が大の苦手でした。親族や相続はいいのですが、それ以外の部分がなかなか理解できませんでした。
民法は人と人との経済活動を支える法律です。民法が大事にしている大きな価値は「その人の意思を大事にすること」と「取引などがスムーズに行われる」ことです。ところが、項目それぞれでこの2つの価値の調整割合が微妙に変化するのです。それが学習面でやっかいに思えます。ところが、そうした微妙な調整こそが民法のだいご味であり、学習の楽しさでもあります。
星々をつなぐと夜空に星座が現れるように、たくさんのパズルのピースをつなぎ合わせると名画が現れるように、民法の場合にはひとつひとつの条文での調整の積み重ねが正義や公平のストライクゾーンの全体像を現してくれます。そのときこそが「民法がわかった」とされる瞬間なのでしょう。