前回、法律そのものを覚えるのではなく、読み解くための基本ルールを知ることの重要性を解説した。今回は、民法を例に基本ルールの背景にある公平や正義を学んでみよう。
民法の任意規定と強行規定から公平や正義について考えてみましょう。法律関係は当事者の自由な意思に任されているとする「私的自治の原則」からすれば、民法などなくても、すべて当事者の合意に任せておいてもよさそうです。
どうして民法が必要なのでしょうか?素朴な疑問ですが、大事な疑問です。
もちろん、私的自治に任せておくだけではいけない理由があるからです。民法の規定には、当事者がその規定に反することを合意したとき、その効力が認められるか、認められないかで2つの種類があります。それが「任意規定」と「強行規定」です。任意規定は、「お互いに決め事をしていない場合には、そういうことにしましょう」とお互いの意思を補うような規定です。一方、「市民間といえども守らなければならないルール」が強行規定です。
法律そのものを覚えようとせず、
民法の規定から公平や正義を学ぶ
まず、第一に、「当事者が合意したとしてもさすがにそれは認められない」とすべきことがらが私法の分野でも存在します。そのため強行規定が必要となります。一方、私的任意規定の必要性もあります。それは、当事者の合意があったとしても、しばしば、考えられることがらすべてに対応していないからです。ですから、「決め事をしていない場合には、そういうことにしましょう」という任意規定をおいて、契約などをスムーズにする必要があるのです。
お金が急に必要になったときに、「お金貸してよ、3万円だけでいいから」と必要な額ばかりに思いがいくものです。「いいよ」と貸したけれど、利息について定めていないとします。その場合には民法が定める法定利息を求めることができます。それが民法404条が規定する年5分(5%)の法定利息というわけです。
このようにして、任意規定は、お互いの合意の不十分なところを補完する役割を果たします。これが任意規定と強行規定からなる民法の必要性です。
当事者間の合意を否定するには
誰もが納得することが必要
民法は、市民間のルールです。だから、それが社会に受け入れられるものでなければなりません。まず、強行規定は、当事者の合意をも否定する規定ですから、「さすがにそんなことは認められない」とみんなが納得できるものでなくてなりません。
また、任意規定は、当事者の合意を補完するものですから、「たぶん、こういう合意がなされるだろうな」とお互いの意思を推測させるような規定でなければスンナリとは受け入れてもらえません。
民法は、強行規定であろうと、任意規定であろうと、日常の市民間のルールとして、誰もが「なるほど」と納得するものでなければならないのです。そこに、人々が考える「公平や正義」があります。