「働き方改革」が喧伝され、短時間でより多く成果をあげることが求められている。それを実現するカギとなるのが、合理的ものごとを進める思考力。それを身に付けるには法律を学ぶことがいちばんであることの理由を説明しよう。
リーガルマインドが
ムダな会議をなくす理由
ある飲料メーカーがフルーツ牛乳発売50周年を記念して「大人の贅沢フルーツ牛乳」を限定発売しました(フィクションです)。社内的には、ちょっとした記念商品だったのですが、発売から1週間のデータから、従来のフルーツ牛乳の購買層とは異なる層に訴求できていることが分かったのです。フルーツ牛乳といえば、子どもとシニア層が主なターゲット。それがこの記念商品に限って、20代・30代の女性にも支持されていたのです。
これを受けて、この飲料メーカーでは急きょ、企画部の主催で宣伝部と製造部を交えて会議を開くことになりました。忙しい中、緊急召集された総勢20人もの会議です。ところが、会議の目的が曖昧でした。ですから発言もそれぞれの部門でバラバラ。例えば宣伝部の若手女性社員は「自分たちにはフルーツ牛乳自体が新鮮だったのかも」という仮説を。製造部の課長は「定番商品とはコストが違います」という当然のことを。あとは各部で用意された資料の棒読みと、責任の生じない当たり障りのない発言ばかり。結局、会議を仕切った企画部次長も「もう少しパッケージが派手でもよかったかな」と感想めいたことを述べるだけで、何の結論も出ずに会議は終了しました。
このように仕事の中の無駄といえば「会議」かもしれません。不要なたくさんの資料、読み上げるだけの説明、行なわれない本音の議論、挙句の果てには、些細な表現をめぐって、仲の悪い者どうしがののしり合う…。デスクにやっと戻れたときには、決まってこう思います。「やっと終わった…。それにしても、今日の会議の意味はなんだったの?」と。
幸い、私自身はこんな会議を経験したことがありません。以前、勤めていた議院法制局でも会議が多かったのですが、いつも極めて合理的な運営がされていました。目的のはっきりしない会議なんてありませんでしたし、意味が不明確な発言はすぐにその場で真意が質されます。
法律には、定めた目的があります。規定されている様々な措置はその目的を実現するためのものです。その目的は、法律の第1条に目的規定として書かれます。「どのような手段で」、「どのようなことを実現し」、そして、「どんな社会にしたいのか」が書かれています。よく、法律の目的規定は「手段・目的・究極の目的」を示すものといわれます。その法律に基づく措置は、直接、間接の違いはあっても、第1条に示された目的を実現するものといえるのです。