米国はベトナムでもフランス軍が1954年に根拠地のディエンベンフーで包囲され降伏するなど、大敗した後、あえて北ベトナムと戦って5万6000人の死者を出して撤退、最大の債権国から債務国に転落した。中国漢代のことわざ「前車の覆るは後車の戒め」と合致する。

 イラク戦争でも、「イラクが大量破壊兵器を保有している」と主張し、2003年3月国連調査団の「なかった」との報告を無視してイラクを攻撃、占領し、大量破壊兵器を探したが、結局は出なかった。

 7年半、イラクを大混迷させて2010年9月に撤退、米軍人4419人、イラク民間人約11万人が死亡した。直接戦費は7700億ドル(約85兆円)に達したが、重傷を負った米兵の生涯の補償や国債の利息など将来の経費を含むと3兆ドル(330兆円)との推定もある。

失敗をなぜ繰り返すのか
情報分析に甘さや偏り

 最大の軍事大国であり、情報収集能力も高い米国はなぜ失敗を繰り返すのか。

 大きな要因は、情報分析能力、あるいは分析姿勢に問題があるため、と考えられる。

 米国の情報機関の年間予算が2005年で440億ドル(約4.8兆円)、精度の高い偵察衛星や電波傍受衛星、巨大なサイバー部隊などを持ち情報収集能力は抜群だ。

 だが、得た情報の分析が楽観にすぎたり、判断が偏りがちだったりすることが多いのだ。

 シリアへの介入では、米国はシリアを支配するアサド家はイスラム少数派の「アラウイ派」に属し、国民の大半は「スンニ派」であるため、軍の反乱が起きればアサド政権は打倒できる、と安易に考えた。

 軍人の離反を期待して「自由シリア軍」を作ったが、イスラエルを支持する米国が背後にいることが明白な「自由シリア軍」に参加する軍人は少なく、シリア軍の中核部隊は忠誠を保った。

 このため反政府軍の主力はアルカイダ系のヌスラ戦線となった。米国内ではアルカイダを支援することに批判があったため、米国はアルカイダに属さない反政府勢力を探し求め、ヨルダンのCIA基地で訓練し、装備、資金を供与した。だがこれは凶暴さのためアルカイダに破門されていた集団で、のちの「イスラム国」に育った。これが暴走してイラクで勢力圏を拡大したため、米軍は、「イスラム国」をたたかざるを得なくなった。

 シリア国民の多くは外国人傭兵が多いイスラム過激派部隊の横暴に対処するため親政府の民兵部隊を各地で結成、10万人以上に達した。シリア軍と民兵は着々と失地を奪還し、反政府勢力はトルコとの国境に近いシリア北西部イドリブ県の一部に追い詰められた。 アサド政権転覆を狙った米国の失敗は確実となり、米国はアフガニスタン、イラク、シリアで3連敗となった。

 ユーゴスラビアの内戦では、虚報に踊らされた。