霞が関こそ「FAX廃止」を
実行すべき理由

 さて、霞が関の官公庁がFAXを使い続けることの最大の問題点は仕事の能率よりも、むしろ「デジタル化されない文書のやりとり」を許容することの不都合にある。

 例えばPDF化された文書なら、電子データとして残せるし、残さなければならない。メールもサーバーに残る。しかしFAXでやりとりすると、送り手と受け手が書類を捨ててしまえば、やりとりの事実と内容は残らない。

 最近の複合機にはFAXの送受信記録が残るものも多いようだ。しかし件数が限られるなど、メールをはじめとしたデジタルなやりとりと比べると保存性は大きく劣る。

 FAXの証拠を残さない性質は、行政や事務一般にあるべき価値観からすると不都合だが、証拠を残さないやりとりを文書ベースで行いたい向きにとっては好都合だ。この事情は、今どきまだFAXのやりとりを残したいと考える潜在的に大きな理由だろう。そしてこの性質は、国民一般にとっての不都合になり得る。

 霞が関がFAXを廃止して電子的なデータとして文書を含むやりとりをし、記録するとしよう。それなら、官僚・政治家・民間のやりとりが記録に残って、よくある「言った・言わない」問題や「記憶にございません」問題を大幅に減らすことができるはずだ。

 そして、今や音声データを文字に変換することが難しくなくなっているし、動画も記録として残すことができる。

 ZoomやMicrosoft Teamsなどのオンライン会議ツールを使うと、政治家と官僚、あるいは官僚同士のやりとりを記録することが容易だ。もちろん、重要な会議は今も議事録作成のために録音しているのであり、音声をデータとして残すことはもともと容易だ。