2017年に亡くなった故与謝野馨元社会保障・税一体改革担当相は、随筆の中でこう述懐している。

「後藤田正晴氏()、宮沢喜一氏、梶山静六氏、いずれも反戦平和だったと思う。梶山先生は、私によくこう言われた。『与謝野、君たち若い世代は、本当の戦争を知らない。戦争というものは、実際どれほど悲惨なものかは、なかなか判ってもらえないだろうがね』」(『目指した明日 歩んだ毎日』文藝春秋)

注:「戦後60年の間に日本の自衛隊によって他国の人間を殺したことはないんですよ。それからまた他国の軍隊によって殺されたこともない。先進国でこんな国は日本だけですよ。これは本当に誇るべきことだと思う。これだけは頭の中において政治の運営をやってもらいたい」(2005年1月2日 TBS系「時事放談」での後藤田正晴元官房長官の発言)

戦争による破壊や価値観の急転換
人間と社会へのリアルな認識に

 怪獣映画「ゴジラ」をご存じの人も多いと思う。

 2016年にも「シン・ゴジラ」が公開され話題になったが、最初の映画「ゴジラ」は1954年に作られた。

 ゴジラは水爆実験の放射能で生まれた「核の落とし子」である。1954年の映画でもゴジラは東京湾から上陸し、東京の街を破壊するのだが、CGなどまだない時代に、破壊された東京の街、焼け出され傷を負ってうめき声を上げながら運ばれる市民の姿を描いたその映像は、細部に至るまで実にリアルで真に迫ったものだった。

 何が言いたいかというと、街が破壊されるとどうなるか、戦火に襲われた人たち、焼かれて死んでいく人たちの姿とはどういうものなのかを、あの世代の人たちは――映画を作った人たちも見る人たちも――みんな自分の目で見て知っていたということだ。

 あの世代の人たちは、人間の弱さ・社会の危うさを骨の髄まで身に染みて知っている。今の社会、今の秩序が万全のもの、盤石のものなどとは全く思っていない。

 制度は人が守っているから存在する、社会は構成員が支えるから機能するもので、社会の成員が自分たちの同意した制度を守るために自らの役割を果たさなくなったとき、また国の運命を託された指導者がその責任を全うせず、あまつさえ選択を誤ったときには、いかに制度が簡単に崩壊するか、そして社会を支える制度が崩壊したとき、一体何が起こるかを、それこそ身をもって体験している。

 戦中、そして戦後の混乱期、極限的な状況で露呈する数限りない人間の暗部を見、多くの幻滅を感じてしまった人たち、劇的な価値観の転換、社会の断絶を経験した人たちが、人間と社会へのリアルな現実認識の上に立って作り上げたのが、今の私たちの社会だ。