「一番努力しないでいいルート」を
見つけることに努力する

――ハライチとしては、相方の澤部(佑)さんが先にブレイクしました。岩井さんの中で、焦りはありましたか?

 俺は、そういう境遇の中でも輪をかけてじたばたしなかった人間だと思います。焦らなかったですね。澤部のほうがテレビで受け入れられやすいのは、自分でも分かっていた。俺だって、番組作る人間だったら澤部を使うし。

 まぁ、焦ってもしょうがないと思っているところが、バラエティーで使いにくかったのかもしれないですけど。焦ってるやつ、必死になってるやつって面白いし。

 でも、俺はあんまり必死になれなくて。というのも、もともとテレビに憧れてなかったから。憧れの世界が遠のいちゃう、みたいな感覚もなかったですね。

――先輩からはアドバイスなど、何か声をかけられたりしましたか?

 アドバイスというか、「まぁいっか、澤部が出てることをそんな気にしなくても」って確かめられた出来事がありました。

 ある特番に出たとき、スタジオに入る前に出演者の中で「岩井、久々だな」みたいな感じになったんだけど、さまぁ~ずの大竹(一樹)さんが「ツッコミブームだからな」って言ったんですよ。司会者に突っ込むような芸人が求められているわけだから、「しょうがないよ、後々出てこられるよ」って。「まぁいっか、じゃあ」って思いました(笑)。それは強烈に覚えていますね。

 その時期は、好きなことが仕事になればいいなと思って、とにかくアニメを全部見ました。好きなことだから、全然苦じゃなかった。そしたらアニメの仕事が来るようになって、月の半分くらいは、アニメやサブカルの仕事をしていました。給料も今と変わんないくらい。

 これを続けていたら、芸人で一番アニメに精通しているというか、アニメの仕事がある人にはなれたかなと思います。

――「芸人でアニメに一番精通している人」もそうですが、前作では「澤部がやっていること以外のことで笑いを取ろう」という思いがあったと書かれています。俯瞰したときに、他の人と違う、独自のポジションにいこうというのは、常に意識していますか?

 はい。そのほうが楽。頑張らないで済むんでね(笑)。

 いろんなやり方があるけど、最初に見つけた一個でめちゃくちゃ努力するより、「一番努力しないでいいルート」を見つけることに努力したほうがいい。これが、努力しないように頑張るっていうことだと思います。

岩井勇気(いわい・ゆうき)
1986年埼玉県生まれ。幼なじみの澤部佑とお笑いコンビ「ハライチ」を結成し、2006年にデビュー。初の著書『僕の人生には事件が起きない』(新潮社)は10万部を超えるベストセラーとなった。冠ラジオ番組「ハライチのターン!」(TBSラジオ)のパーソナリティーを務めている。