だが、安倍晋三・菅義偉政権で完成した英国流「交代可能な独裁」の導入というべき首相の指導力強化の改革は、現在の野党側の政治家が民主党時代に主導して実現したものだ(本連載第115回)。それを「立憲主義」に反するというのは無理があるし、実際どこが憲法違反なのか、具体的によくわからない。

「権力の私物化」というが、具体的には何を指すのだろうか。例えば「森友学園問題」では、財務省が安倍元首相夫妻に「忖度」したのは明らかだろうが、元首相夫妻が権力を私物化したという証拠は出てこない(第172回)。そして、(2)から(5)は、自民党も問題はあれど、似たような主張をしている。違いがよくわからない。

 自民党の公約には、岸田首相の主張の中心である「分配政策で分厚い中間層を再構築」に加えて、地方創生分野で、デジタル化で都市と地方の距離を縮めて地方活性化を図る「デジタル田園都市国家構想」、そして、野田聖子少子化相が訴える「子どもを真ん中に据えた『こどもまんなか』社会」も含まれた。

 さらに、自民党は成長と分配の両立を図る「新しい資本主義」を打ち出すことで、政策の幅を中道左派まで広げ始めている。その狙いは、野党との差別化ではない。むしろ、野党との違いを曖昧にして、自民党こそ、実行力があると訴える。いわば、野党の存在を「消す」ことだ(第286回)。

 野党共闘には、政策の中身以前に深刻な問題がある。「野党共通政策」とは、市民連合なる団体からの提言であり、野党自ら議論をし、練り上げたものではないことだ。政党にとって最も大事なものは「政策」である。それなのに、政策立案を外部の団体に頼むようでは、政党としての体をなしていないと批判されても仕方がない。

2009年の政権交代選挙
民主党の構想は巧みだった

 立憲民主党の幹部は、2009年の政権交代を経験した政治家たちだ。彼らには、その経験を思い出してほしい。

 民主党は、1996年の結党以降、自民党に代わる「政権交代可能な政党」を目指し、2009年の政権獲得まで13年間という長い時間をかけて、政権構想を練り上げていたのだ。民主党は、自民党とは異なる論理に基づいた国家像を目指した。