北朝鮮支援を「農協界のドン」が売名に利用した全内幕、野中広務の大誤算Photo:noboru hashimoto/gettyimage

農協界のドンで、元小泉チルドレンでもある中川泰宏の知名度を一気に全国区に押し上げたのが、JAグループ京都が行った朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)への食料支援だった。その支援を中川に持ち掛けたのは他ならぬ野中広務だ。連載『農協の大悪党 野中広務を倒した男』の#13では、野中が軽い気持ちで依頼した北朝鮮支援が、中川の政治的なパフォーマンスに徹底的に利用されることになった顛末を明らかにする。(ダイヤモンド編集部 千本木啓文)

一本の電話が大間違いのもと
田舎の町長が全国区の「時の人」に

 野中広務にとっての大きな間違いは、1996年の夏、当時京都府の八木町長だった中川泰宏に一本の電話をかけたことだった。

 中川は「月刊テーミス2001年5月号」で、野中からの電話の内容を明らかにしている。

「北朝鮮にコメを送ってくれないか(中略)国交もない、承知の通り普通の国ではないが、おまえならできる」

 当時、北朝鮮は水害の影響などで食料危機にひんしており、子どもが餓死しているといった情報も伝えられていた。

 この頃、野中は被差別部落出身者を優遇することで逆に差別を助長しかねない同和対策事業の廃止に向けて汗をかく中川に一目置いていた(本連載#12『野中広務が「農協界のドン」に激怒した理由、同和問題改革者が利権の亡者に変心の裏切り』参照)。

 野中は対北朝鮮政策においても、同和行政改革と同様に中川を御せると考えていたようだ。しかし、中川へのコメ支援要請は結果的に、中川が政治力を付ける絶好の機会を与えてしまうことになる。

 中川が北朝鮮への食料支援を行った96~97年は、中川が自民党公認で出馬を狙った参議院議員選挙(98年)の直前である。

 中川は農業指導などの名目で度々訪朝。ときには大勢の記者を従えて訪朝するなど、一気に全国区の知名度を得て中央政界にアピールすることができたのだ。