大宇宙たちが無数に集まった
タイプ2のマルチバース

 東京で学んで物理学者になって、初めて訪れた国際学会が南仏のトゥーロンでした。海辺に行って既視感を覚えました。細々と違う点はあったけど、周りの様子は驚くほど郷里の海に似ていました。同じことは翌年の学会で行ったアメリカ南部のサウス・キャロライナでも経験しました。

 世界中の海辺の街の海岸は、どこも懐かしい高知の海岸に似ていました。地球のどこも陸地は同じような作りで、そこに住む人間も本質的にはどこでも同じようなので、これは当然といえば当然です。

 しかし、と須藤博士は続けた、では月に行ったとしたらどうでしょう。そこにはそもそも海がない。火星にも海はない。海があるらしい木星の衛星タイタンに行くと、そこの赤い空の下の岩の散らばる岸辺の様子は少しだけ地球に似ています。しかし極寒の海を掬(すく)ってみると、それは水ではなくメタンです。

 仮に我々の近辺に我々と似たような宇宙がいっぱい存在していたとしても、数兆数京光年の遥か彼方では、物理法則自体が我々のものとは違っていて、そこにある宇宙の中の銀河の様子も星々の様子も我々と全く異なるということを期待すべきではないでしょうか。

 例えば重力や電気力の強さが異なっているかもしれず、また例えば万有引力は距離の逆2乗ではなく逆4乗に比例しているかもしれない。「タイプ1 マルチバース」をたくさん含む、それぞれ様子の異なった時空の領域が無数に存在しているのではないでしょうか。その各々の領域は宇宙を要素とする大宇宙であって、その大宇宙たちが無数に集まったのが世界全体だ。これが「タイプ2 マルチバース」の考え方です。

 ちなみにこうした「タイプX マルチバース」ということを最初に言い出したのは、MIT(マサチューセッツ工科大学)のスウェーデン人物理学者、マックス・テグマークです。こう言いつつ須藤博士がZoomの画面に映写した、宇宙を内に含む大宇宙の集まりの極彩曼陀羅を見ていると、意識が朦朧となりそうだった。

 彼の声は続いた。「タイプ3 マルチバース」については、詳しい説明はしないことにしましょう。それは量子力学のエヴェレット解釈でいう並行多世界を、時空の中に実在する無数の宇宙たちと同一視する推測です。今日は量子力学の専門家の谷村省吾先生が、名古屋大学からわざわざ参加されてこの講義を監視しているようなので、迂闊なことを言うと炎上してしまいそうですから。そういって早流しに飛ばしたスライドに、「量子自殺」の文字が見えた。

 谷村博士の顔が一瞬、画面に大写しになり、彼の快活な声が聞こえた。別に私が何か言わなくても、ネット上ではアブストラクトだけで既に大炎上してますから。でもわかりました、私も「タイプ4 マルチバース」を聴きたくてうずうずしてるので続けてください。

物理法則が根本的に異なる
タイプ4のマルチバース

 よろしいです、と須藤博士は続けた。「タイプ4 マルチバース」は、タイプ2の一種の変形ですが、もっとずっと過激なものです。それぞれが「タイプ1 マルチバース」を多数含む大宇宙がたくさん集まって世界ができている、という考えまでは同じなのですが、それぞれの大宇宙ごとに異なるのが、物理定数や物理法則だけだと考える必要があるのでしょうか。もちろんそういうものも無数にあるでしょうけど、もっと根本的に違うものを考えてもいいのではないでしょうか。

 大宇宙ごとに素粒子の作りが違っても良い、そもそも嵩(かさ)のある物質などなく、波動だけで満たされているものがあっても良い。空間の次元自体が大宇宙ごとに異なっていても良い、さらには大宇宙を支配する物理法則が基づくべき論理構造すら異なっていてもいいのではないか。内部に矛盾があって破綻しない限り、どんな論理体系で構成された大宇宙も世界の中にあると想定すべきではないか。

 我々の宇宙に似た宇宙たちからできた「我々の大宇宙」の隣に、我々とは没交渉なまま、全く別な数学的構成原理から作り上げられた別な大宇宙がある。世界を構成するのは、人間に考えられる限りの、いや考えられないものも含めて、数学的に辻褄(つじつま)のあったあらゆる論理と法則でできた大宇宙があるのではないか。これが「タイプ4 マルチバース」です。

 沈黙が訪れた。チャット欄に谷村博士の書き込みが見えた。