作る農業から、体験してもらう農業へと転換
さらに耕作放棄地再生屋としてセルフブランディング

 農地を借りて野菜を作ろうとしたが、農地法という法律があってできない。今考えてもおかしな話なのだが、「農地を新しく素人が借りる条件に農業経験が必要だ」という。当時は新規就農者が農業に参入できないことが前提だった(今は新規就農者に対して特例枠のような形で行政サポートが入り、就農できるようになっている)。四苦八苦しながら農協の人と仲良くなって何とか農地を見つけて農業ができることになった。

 そうして、やっと事業計画書を作成する段階になったのだが、計算をしてみると到底採算が合わない。農業の難しさに気付いた。これを乗り越えるためには知恵を絞らなければならない。そして考えに考え抜いて出てきた一つの解が「農業体験をする」ということだった。

「野菜を作って売りに行く」のではなく、「野菜を採りにおいでよ」という発想だ。

 農業技術を持っているし、野菜が好きだから語れる。おいしい食べ方や野菜の選び方を教えられる。「知識」プラス「野菜」を持って帰ってもらう、「農業体験サービス」を始めることにした。

 それでも起業した1年目は、マイファームの純粋な売り上げは20万ほどしかなかった。資金繰りも苦しくなり、何とかしなければと、2年目には考え方を変えた。

 すでに会社としてやっていることに、付加価値を付けられないかと掘り返してみた。思えば、マイファームは、農家の人が使わなくなった農地を再生させている。だから、「耕作放棄地再生屋」を名乗ることにした。

 この時期から、「耕作放棄地を再生して農業を楽しめる場所に変える人」とセルフブランディングをしながら、メディアに積極的にアピールを始める。

「耕作放棄地を直せます」とファックスを送りまくったら、NHKさんなどが取り上げてくれて、2年目にはお客さんが200人ほど来てくれた。1人6万円なので、売り上げは全体で1200万円以上、最終的に1800万円に達成する。ここからいい流れが来て、あれだけ「無理だ」と言っていた近くの農家さんたちが「俺もやる」「俺も」と加わってきた。

 その結果、4年目で1億まで売り上げを伸ばすことに成功する。

東日本大震災後、債務超過に転落
リクルート創業者の支援得て流通事業で復活

 しかし、右肩上がりの業績は長く続かない。転機となる「大失敗」が待っていた。

 一つ目のポイントは、多展開する中で、貸し農園がすべて同じチェーン店で、どこへ行っても同じになってしまった。栽培マニュアルを用意していたのだが、それだけではお客さんが離れてしまう。「西辻くんの栽培アドバイスが面白いのに…」と言われるわけだ。

 そして二つ目、調子に乗っていたときに東日本大震災が起こる。農水省から「放射性物質による危険性がある。家庭菜園は自粛してください」という通達が出る。お客さんはほとんどいなくなった。

 私は、解約をする人は未利用分を返金した。そうせずにはいられなかった。しかし、会社は立ち行かなくなった。給料が払えなくなり、「どうせ事業は無理だ」と東北の農家へ支援に入ることを決意する。今までの経験を、津波で流された農地の再生に生かしていく。微生物を投入し、瓦礫を除き、農家が再びトマトを栽培できるよう支援する。現地に法人を作り、事業を組成して雇用を促進した。

 それらのために、独断でマイファームのお金を使ったこともあり、厳しい経営判断をしないといけないタイミングで、取締役会で社長を解任される事態へと発展する。マイファームは債務超過に陥り、働いていた社員も散り散りとなってしまった。

 ただ、悪い話ばかりでもなかった。この東北のトマト栽培を秋篠宮殿下に表彰していただいたのだ。日本水大賞という賞がきっかけとなって、寄付が集まった。私は再び自信を取り戻し、自走できることになった。

 現地の方々から、「やっぱりマイファーム本体を何とかしないとだめだよ」と助言を受けたので、会社に戻って再生の道へ進んだ。

 債務超過の会社を立て直すため、金策に奔走する。銀行にも融資を受け付けてもらえず悪戦苦闘中に救いの手を差し伸べてくれる恩人が現れた。リクルートの創業者のEさんだ。数千万円をご支援いただき、そのお金でマイファームを立て直した。

 貸し農園はまだ難しい。当時、震災の影響で九州や西日本の野菜が売れていたため、西日本の野菜を東日本で売る流通業から事業を再開する。当時残ってくれたメンバーで、夜な夜な車やトラックに野菜を積んで、東へと運んだ。そうしたら、1期目から黒字になり立て直しができるようになる。そこから今のマイファームの姿へと変貌を遂げる。

 農業界では一度死んだと言われてからの復活。当時まだ29歳だった。

危機は脱したが、心残りは社員に掛けた迷惑
社長のブランドより社員を優先する会社に転換

 もし過去に戻れるなら、会社がつぶれそうだったあの時に戻る。あの時に会社が空中分解し、社員が散り散りにならないように、守るべき優先順位の一番上に、会社のみんなを据えるべきだった。

 それまで会社の業績が伸びていくことを自分のブランディングが確立されることのように考えていた。でも今は全く違う。“みんながスター”という考えにたどり着いている。

 マイファームの組織図で他の会社と大きく違う特徴は、私が一番下にいることだ。会社は植物だと思っていて、上の花は現場のみんな、茎や根っこは役員たち。主役は花など実のなる部分で、お金を調達してそれを守るのが根っこと茎である。

 そうしたフィロソフィーは一人ひとりに浸透し自分が主役という考え方で動いている。国内事業から海外事業まで、マイファームは「農を起点にした次世代に続く新しい社会づくり」を掲げ、さまざまな形で農ある暮らしの実現に力を注いでいる。

 起業から十数年で、自然界では当たり前の多様性というものを学んだ。本連載では、私の経験から見えてきた現代社会の課題と、農業を通じた未来への提言をお届けしようと思う。