|1973年|
オイルショックによる危機からの復活と
フォードとの提携
1973年(昭和48年)に起こった第1次オイルショックは、アメリカに進出したばかりのマツダを窮地に陥れます。なぜなら、ロータリーエンジンは決して燃費に優れたエンジンではなかったからです。
それまでアメリカではガソリンは安価なものと考えられていて、燃費を気にするような人はそう多くはありませんでした。ですが、オイルショックによって燃費への意識が高まり、アメリカ政府からも「ロータリーエンジンは他のエンジンよりも、1.5倍も多く燃料を消費する」と指摘されてしまいます。
そういった影響もあり、マツダはアメリカ市場で極度の販売不振に陥ります。その後、その苦境からも這い上がるわけですが、ビジネスをさらに強固にするため1979 年(昭和54年)にフォードと資本提携を結びます。その後、このパートナーシップは2015年(平成27年)まで続くことになります。
|1978年|
「RX-7」の誕生とロータリーエンジンの復権
オイルショックによる経営危機を乗り越えたマツダは、それでもロータリーエンジンを諦めませんでした。1978年(昭和53年)には、ロータリーエンジンを搭載した新しいスポーツカー「サバンナ RX-7」を発売します。
「サバンナRX-7」は、スムーズで力強いロータリーエンジンと、いかにもスペシャリティカーらしい流麗なデザインで、日本だけでなくアメリカの若者たちにとっても憧れのクルマとなって日米両国から絶大な大人気を博します。
「RX-7」シリーズは1985年に2代目モデル、1991年に3代目モデルが発売され、全モデルが高い人気を誇りました。2002年に生産終了されるまで、マツダを代表するスポーツカーとして君臨し続け、2020年代となった今も復活を渇望するファンが多い名車です。
マツダの英語表記が
「MAZDA」である理由
1984年に東洋工業からマツダへと正式に社名変更がされましたが、マツダの英語表記が「MAZDA」である理由をご存知でしょうか? マツダという社名は、マツダの礎を築いた2代目社長、松田重次郎氏にちなんだものですが、そのつづりは世界最古の宗教であるゾロアスター教の最高神「アフラ・マズダー(Ahura Mazda)」から取られました。
アフラ・マズダーは、「光輝き、純粋で、甘く香り、善を成す」属性を持つ神です。それは、マツダが世に送り出してきた幾多の名車を形容しているようでもあります。
光り輝き、甘く香るような美しいデザイン。そして、邪心のない純粋なクルマづくりへの情熱。多くのクルマ好きの心を掴んで止まない、マツダというちょっと特異な自動車メーカーの運命は、名前を決めた瞬間から定まっていたのかもしれません。
Text by Eisuke Kurashima