「西欧文明」の本質を見抜いていたタゴール

 かねて、欧米列強に対しアジアは結束を強めなければならないという考え方は存在した。

 インドの詩人・思想家であり、アジアで初めてノーベル賞を受賞(1913年)したラビンドラナート・タゴール(1861-1941年)は、アジアの民族文化を尊重し、民族的結合を理念に持っていた。著書『Nationalism』(1917年)では西洋文化のすばらしさをたたえながらも、「西洋の国家主義の起源と中心には、闘争と征服の精神が存在することは事実である」とし、「近代化即ち西洋化」の考えを否定していた。

 第一次世界大戦下の1916年、タゴールは東京都北区の飛鳥山にある渋沢栄一の別邸に招かれ、当時英国の植民地下にあったインドの理想、東西の関わり方、欧州の影響下にある日本の将来の在り方について講演を行い、西洋の国家主義を模倣する日本に警鐘を鳴らした。タゴールは高度な文明の伝達者としてアジアに君臨しながらも、その実インドが植民地から独立することを認めず、果ては第一次世界大戦まで引き起こす西洋に対して強い憂いを抱いていた(詳細は我妻和男著『人類の知的財産61 タゴール』に詳しい)。

 西洋と東洋は常に「支配-被支配」の関係にあることは、歴史が物語るところだ。たとえば十字軍がそれである。十字軍とは中世ヨーロッパにおける異教徒征伐組織であり、「聖なる十字架」を取り戻すという大義のもと、ドイツ、ロシア、フランス、ノルウェー、オーストリア、ハンガリーなどの欧州勢が、オリエントを象徴するイスラム教徒を敵として戦った。

 西洋のオリエントに対する強い関心は、バレエという芸術にさえ投影されている。十字軍遠征をストーリーにした「ライモンダ(初演1898年)」、インドの舞姫をモチーフにした「ラ・バヤデール(初演1877年)」や、千夜一夜物語をテーマにした「シェヘラザード(初演1910年)」からは、西洋の人々の「東洋観」が見て取れる。19世紀から20世紀初頭の欧州では、夜ごとこうした舞台が上演され、人々は「オリエント進出」に夢をはせたのだろう。

 日本でも人気の「くるみ割り人形」の初演は1892年。当時はイギリスやドイツ、ロシアなどの列強が東洋の資源に手を伸ばしていた時期であり、作品の第2幕には、当時の貿易物資だった「中国のお茶」や「アラビアのコーヒー」などの踊りが登場する。さしずめ“バレエ版・巨大経済圏構想”である。

 今の中国の覇権的行為は欧米の非難を買っているが、西側先進国からすれば、まさか中国がかつての欧米の行為を“模倣”するとは思ってもみなかったのだろう。

 このように東西の対立や影響力の拡大は歴史の宿命であり、今に見る米中の相克も東と西の根深い対立に根源があると言えよう。冒頭の英・エコノミスト誌の表紙が醸す「2022年以降も続く」というニュアンスは、歴史から消えることはない東西の対立を改めて強調しているのかもしれない。