藤之石で正月に備えて餅搗きをしていたところ、裏口から顔を覗かせて、餅を分けてほしいとせがむ者がいた。村人は「おまえなどにやる餅はない」と邪険に追い返してしまった。ところが、じつはそれは、姿を変えた神だったのだ。身なりの貧しさゆえに追い返したことに腹を立てた神は、餅米を蒸していた甑を飛ばしてしまった。以来、このあたりでは正月に餅を搗かず、「うわもり」というダンゴをつくって正月を過ごしたという。

 餅なし正月の習俗がある地域では、正月に餅の代わりに里芋などイモ類を食べたり、供えたりすることが多いのだが、イモ類は稲作が伝わる以前から栽培されていたとされる。栽培されたイモ類は正月儀礼にも用いられた。

 つまり、餅以前にはイモ類が正月に食べるもの、供えるものであり、稲作の普及にともなって餅に取って代わられたというのである。が、その流れに抗して、イモ類に拘りつづけた地域もあった。餅なし正月の習俗はそんな地域に受け継がれた伝統なのだ、ともいわれている。

 この例のように伝説が核となっている民間伝承の禁忌は多数散見されるのである。

正月歌舞伎恒例の「睨み」にあった
厄払いとご利益のパワー

 正月の縁起かつぎといえば、正月歌舞伎の「睨み」も有名だ。

 歌舞伎に隆盛をもたらしたのは、江戸時代の人気役者たちだった。特に、市川團十郎は「大江戸の飾り海老」としてひときわ高い人気を誇った。初代は下総国の出身、一四歳で坂田金時を演じ、代々のお家芸となる荒事を完成させたとされる。

 以来、代々市川團十郎は、それぞれの時代の歌舞伎を担う屋台骨としての役割を果たしてきたが、得意とするのが、九代目が創案したといわれる「不動の見得」と呼ばれる“睨み”である。『勧進帳』で團十郎演じる弁慶が勧進帳を読み上げ「天も響けと読み上げたり~」と不動の見得を切るシーンでは、「成田屋ぁ~」の声がかかるのが常。見せ場中の見せ場といえる。

 正月公演では團十郎による、睨みの振る舞いが恒例となっている。「それではひと睨みぃ」と観客に向けて見得を切るわけだが、めでたい年のはじめの睨みは、「厄払い」と「御利益」の二つの意味合いを持っている。これも実は、「見る」という行為の侵犯性と感染性という二つの象徴的な意味に裏打ちされて生まれた作法であり、芸能なのである。團十郎の秀でた芸に裏打ちされた睨みが災厄を祓い、同時に、観客は團十郎のパワーを受け取るというわけだ。