新しさを求めるがゆえに
ルーツをたどる

【対談】細尾真孝×高木正勝「新しさを求めるがゆえにルーツをたどる」Photo by Itsumi Okayasu

細尾 環境を体験するという意味では、染織の分野でも同じですね。ここ4年間で、北海道から沖縄まで約40カ所の染織の産地を訪れてリサーチしてきましたが、やはり染織というのは、その土地の風土、歴史、それによってつくられた、人々の生活だったり、そういうものを表すひとつの「メディア」だと思うんです。

 染織そのものがその土地のすべてを包括した「メディア」であれば、その染織を知るには実際、そこに足を運ばないと理解できない。究極的にはそこに住んで、そこの水を飲み、生活することかもしれません。染織と音楽の違いだけで、高木君がやっていることはまさにそれだと思う。そこで生活したからといってその場ですぐに作品が生まれるわけではないので、高木君の「一個ずれる」というのはわかる気がします。

 今、世の中のあらゆるものがパッケージ化されていて、それぞれの土地が持つ固有性というのは、分断され、取り残されている部分もあると思うんです。明治になって日本の近代化が進む一方で、日本が本来持っていた良い部分を、過去またはそれぞれの土地に置いてきてしまった。それに私たちは知らないまま、気づかないまま、日々を暮らしている、そのようなことがたくさんあるはずです。

 まだギリギリそういう場所も残っていますし、染織という文化も残っているので、それらをひとつひとつ拾い集めて、未来へつなぐためのバトンとなる、イノベーションを生むことができるんじゃないかと思っています。こうした「工芸的思考」は、これからの時代のあらゆる領域のビジネスにも応用することができるのではないかと信じています。

 高木君が山奥に移り住んだというのは、「Old is New」、まさに過去に新しさを求めていることだと思うので、とても共感できますね。私たちが出会った頃は、京都や東京といった都市で、新しいテクノロジーを使って創作を行っていた。もちろんそういうアプローチもあると思いますが、今、私たちはどちらも、新しさを求めるがゆえに音楽や染織のルーツをたどっている。

取り残されたものを集めて
未来へのバトンに

高木 山奥の村に移住してあらためて感じるのですが、80代以上の人って、独特の生活様式や雰囲気を持っているんですね。それよりも少し下の世代は、見た目は同じ、おじいちゃんおばあちゃんなんですが、80代以上の人のそれとはまた全然違うんです。たとえば、雑草が生えていたとして、その処理の仕方ひとつとってもそうだし、時間そのものの扱い方もそう。日向ぼっこしながら1時間も何もしないで座っていられる。僕たちはそんなこと絶対にできない。

【対談】細尾真孝×高木正勝「新しさを求めるがゆえにルーツをたどる」Photo by Itsumi Okayasu

細尾 携帯見たりしてしまうよね(笑)。

高木 そう(笑)。それが「太陽がポカポカ当たって気持ちがいい」ということを心の底から思えて、ひとりでいくらでも座っていられる。でもそういったかたたちが毎年、亡くなっていく。

 技術を継承するということも大事だけれど、その世代の「感じ」や「感覚」を学ぶことも大事だよねと、この前、茅葺(かやぶ)き職人をしている友人と話していたのですが、本当にそうだなと。一緒に時間を過ごして、それらを学ぶことができる、今が最後の機会なんじゃないかなと思います。まだ何にも学べていませんが、それまで映画とかでしか知らなかった、里山の生活を知ることができた。このことはとても貴重なことだと思っています。

 たとえば、宴会で誰かが歌い始めると、皆、手拍子をするのですが、僕たちの知っている手拍子と少し違う。もみ手のような手拍子をしている。カラオケで歌うときも、見事に全部ずれている。ただ酔っ払っているだけなんですが(笑)、ずれたまま最後まで歌い通すんです。

細尾 でもグルーヴが生まれている。

高木 そう。こっちはちょっと笑ってしまうのですが、とても自由で、でも音楽になっている。その下の70代の世代となると、もう僕たちの親の世代に近いので、僕たちとそれほど変わらないんです。だから本当に今が最後の機会なのかもしれない。

 そういう意味では、細尾君の会社は、次の世代へ、染織の技術だけでなく、職人さんの感覚なども上手にバトンタッチしているんだなと、今日、多くの西陣織を見せてもらったり、ギャラリーを案内してもらったりして、思った。そこはちょっとうらやましいと感じました。

細尾 日本ってこれだけおもしろいものがまだまだあるのに、それが少しずつ失われてきています。でもまだふんばってやってくれている人もいる。彼らの美意識が、未来へバトンをつなぐひとつのきっかけになるはずです。

 高木君の作品が音楽であるように、私たちの会社の活動自体が作品ともいえます。活動を通して世の中へ「日本が失いつつあるものの魅力」を問いかけ、社会変革のきっかけになるよう、努力していかなければと思っています。