自然を招き入れて
「季節づくり」に自分も関わる

高木 はい。窓を開けて、自然を招き入れて、その音を聴くんです。たとえば小鳥が鳴いていれば、その音に反応してピアノを弾きます。そのピアノの音を小鳥も聴いているはずだと思いこんで、再びその小鳥が鳴けばそれに音で返す。このようにして自然とコミュニケーションをとりながら弾いた曲を、5分の曲であれば、そのまま5分切り取って作品にするという試みを始めてみたんです。

 でも、始めたはいいけれど、これが何なのか、自分でもよくわからない。とにかく何年か続けたらわかるだろうと、『Marginalia』シリーズを4年間、発表し続けてみて、ひとつ確信できたことがあります。それは、虫の音、動物の鳴き声、風や水の音など、自然というのはそれぞれのリズムで音を出していて、それがひとつの景色となり、季節をつくっている。皆で世界をつくっているんですね。

 このことは、これまで学んできた音楽や、やってきたこととはまったく違う発見でした。自然界の音というのは、初めはそれぞれの生き物のリズムで鳴いているけれど、それがちょっとずつ重なってくる。でもお互いの音を邪魔するわけではなく、不思議と歌う順番が生まれる。かぶさらないようにして、徐々に音楽ができてくる。そしてまたバラバラになっていく。そこに僕も混ぜてもらう。

 音と遊んで、自然の音と一緒に景色をつくり、季節の1日をつくる。ウグイスが鳴くから春を感じることができるし、そうした「季節づくり」に自分も音を出すことで関わる。春をつくる作業なので、春以外の音楽を無理やり弾くべきではないと。

ふたりPhoto by Itsumi Okayasu

 人って、どうしても自分が弾きたい曲を弾いてしまう傾向がありますよね。たとえば、最近はやりの駅ピアノがあると、どうしても好きな曲、練習してきた曲を弾いてしまいます。そうではなくて、たとえ得意なことじゃなくても、今、この環境に合った曲、季節に合った曲を、自然と一緒に奏でる。

 たとえば、能でも似たことがあって、能の音楽って、どういう規則があって、その中でどのように演者が動き出すか、観る側からするとよくわからないですよね。僕も観ていて不思議に感じます。

当たり前に存在しているけれど
見て見ぬ振りをしているもの

細尾 私も月に一度、能の「謡(うたい)」を習い始めているけれど、能の音楽というのはリズムを数えることができない。

高木 そう。でも、徐々に渦を巻くみたいに全体の音が合ってくる。次第に盛り上がりができて、それがまた自然にバラバラになっていく。そういう意味では、『Marginalia』の手法というか心持ちという点では、能の精神と似たものがあるのではないかと思っています。

 ですので、「自然の音を取り込む」というよりは、「音を自然へ還していく」といった感覚に近いんです。

細尾 時々、友人のお寺で座禅を組むのですが、その友人のお坊さんがこう言っていました。

 座禅を組むと、普段、自分が見落としていた、当たり前に存在している音、たとえば、小鳥が鳴いている音だったり、虫の音だったり、そうした音に気づくことができる。生きているものを感じ取り、自分もその一部であることを認識することができる。それもまた座禅の目的のひとつであると。今の高木君の話は、まさに自然の一部になるということだと思い、すごく共感できますね。

 当たり前に存在しているけれど、そこに気づいていなかったり、シャットアウトしてしまったり、そういったものってたくさんあるはずです。SDGsや地球環境の問題もそうですが、見て見ぬ振りをすることの限界点に今、世の中が到達してしまっていると思うんです。

(後編へ続く)