実際に触れて感じることで
人の感性は広がっていく

【対談】細尾真孝×高木正勝「新しさを求めるがゆえにルーツをたどる」Photo by Itsumi Okayasu

細尾 今、新型コロナウイルスの世界的な流行もしかり、ビジネスをめぐる環境はものすごいスピードで変化しています。あらゆるビジネスが環境の変化にさらされており、新しい挑戦をすることなくしては生き残れません。前例や慣習にとらわれていては、未来はありません。

 私は「美」というのは、人を変える力があると思っています。美しい環境であったり、高木君がつくるような美しい音楽であったり。私たちの西陣織も、ずっと「美」を上位概念とすることで常に進化し、1200年もの間、途絶えずに受け継がれてきました。

 美意識というのは、誰だって育てることができます。遅いということはありません。その気になれば、人の感覚はどんどん開いていくものですし、感性は広がっていくものです。仕事で何かを生み出そう、取り組もうとしているとき、そこに人としての喜びが表現されていれば、誰もがクリエイターになることができます。そして美意識を育てるには、実際に触れてみる、感じてみることが大切です。

 従業員やお客さんが通るところに四季の花を置いてみたり、そこに合わせた環境音を流したり、ほかにも方法はいろいろとあると思います。少しずつ育んでいくものなのです。すぐにビジネスに成果が出るというわけではないかもしれませんが、そうした職場の空間というのは、確実に従業員の感性に響いているはずです。ここ(1階と2階に旗艦店やギャラリーを備えた新社屋)をつくって2年になりますが、社員や職人さんをはじめ、いろいろなことが変わってきているというのが実感です。

――高木さんはSILICOMとしての活動後、ソロアーティストとして、これまでに「おおかみこどもの雨と雪」「バケモノの子」といった映画や、「おかえりモネ」などのドラマ、「Subaru Legacy Outback」や「サントリー緑茶 伊右衛門」、NTT東日本、日本郵便のCMなど、数多くの楽曲を提供してきました。そのような中、2013年に山奥の小さな村に移り住んでいます。その理由と、現在の環境がどのような形で音楽制作に影響しているか、教えていただけないでしょうか。

高木 人の創作活動って、その人の「ちょっと先の憧れ」が入ってくるんじゃないかと思うんです。

 その時までに経験したことが全部、日記を書くようにアウトプットできるというものではなく、何かを生み出そうと集中すればするほど、自分の知らないことが出てくるというか。だからそのときにつくっているものって、そこまでの体験が反映されるというよりも、「自分はこっちへ進みたいと思っている未来」が知らず知らずに表現されます。

高木氏Photo by Itsumi Okayasu

 以前は、京都の亀岡市というベッドタウンに住んでいたんです。作曲に生かすために民謡を調べていたのですが、調べれば調べるほど、民謡が生まれた環境に身を置かないことには、同じようなメロディーをつくることはできないと感じるようになったんです。

 民謡というのは、畑仕事のリズムだったり、船を漕ぐリズムだったり、自然の中にある音の高低差だったり、そういった要素がひとつの歌の中に詰め込まれている。これに憧れがあるのに、自分もこうした音楽をつくりたいのに、まったく違う環境にいる。そうした状況が、変に思えてきて、今のところに移り住むことにしました。

 よくインタビューなどで、「高木さんの○○という曲は、やはり自然に囲まれたこうした(山奥の)環境で生まれたのですね」と言われるのですが、そういう曲に限って、以前の環境でつくっていたりするんです(笑)。創作活動ってどうしても「一個ずれる」気がするんですよね。細尾君はどうですか?