歌にあふれている場所は
次の命がたくさん生まれる場所

――『Marginalia』(マージナリア)シリーズのほか、初期の『pia』や『opus pia』といった音楽作品や映像作品のときから、高木さんの作品には自然の音や映像を多く取り入れているのが印象的です。特に『Marginalia』シリーズでは、そのまま自然の音を取り込んでいるようですが、何か理由があるのでしょうか。

高木 細尾君と出会った20年ほど前は、ピアノの音が「人工的につくられた音」の極みのように聞こえて、それを何とか自分たちがコントロールできないような、自然現象に近い音に戻す試みというのをしていたんですね。

 わかりやすい例でいうと、ピアノの音を録音して、一度、CD-Rに焼いて、その盤面の裏に油性ペンで落書きをするんです。それを再生すると、プレーヤーからカタカタと音が出てエラーが起き、スムーズに再生されなくなるんですね。「ドレミ」と弾いた部分が「ドドドレレレミミミ…」といったふうに再生される。そのようにして再生した音をもう一度、録音し直して、編集して、曲をつくったりしていました。こうしたやり方が、世界的にもはやっていた時期でもあったんです。

 でも、そのようにして複雑なことをすればするほど、風の音や水の音といった自然の音が、いかに複雑な音であるかということを、意識するようになりました。

 たとえば、川の音というのは本当に複雑で、ひとつの川でも場所が少し違うだけで音がまったく違う。それならわざわざコンピューターに取り込んで複雑な編集を施さなくても、そのままでいいのでは、その音を録音しに行ったほうが早いのでは、そう考えるようになったんです。

 そのままの自然の音のほうがよっぽど複雑なのに、一体自分は何をやっているのだろう。音を組み合わせてパズルをすることが、本当に自分がやりたいことなのだろうか。そういった疑問が膨らんできたんですね。

 それともうひとつ大切な理由があります。結婚して、子どもが欲しいと思っていましたが、なかなかうまくいきませんでした。夫婦で病院に通って不妊治療を続けたのですが、特に男性はそうかと思うのですが、結婚して子どもができて…という流れは自然にやって来るものだと思っている部分があったんです。でも、実際はそうではなく、子どもができるということは、本当に大変で奇跡のようなことなんだと。

 生き物にとっての「歌」って、命が生まれることに直結しています。雄が歌って、その歌をいいと思った雌が近づいてくる。歌にあふれている場所というのは、次の命がたくさん生まれる場所なんですね。

 ですので、自分もその大合唱に参加できないか、彼らがより歌うような演奏をできないか、そのように考えるようになりました。

 こうした意識や観点を、自分の音楽を生み出すプロセスに生かすことができないだろうかと考え、何年も試行錯誤しながらたどり着いたのが『Marginalia』の手法です。とにかく「窓を全部開けてしまおう」と。

 ――窓を開ける、ですか?