スシローを傘下に持つFOOD&LIFE COMPANIES(F&LC)は売上高1兆円という目標を掲げる。これを早期に実現するには「成長の時間を買う」企業買収が重要なカギだ。昨年買収した、持ち帰りずしの名門「京樽」を、F&LC社長の水留浩一は、どう再生するのか。プロ社長の腕が試される。今回は2回に分けてお届けする。(名古屋外国語大学教授 小野展克)
バブル絶頂の京樽はどこへ…まさかの形勢逆転で買収
「バブルの頃、京樽は、東証1部に上場、郊外にファミリーレストランを展開している上に、海外企業の買収にも取り組んで、とても勢いを感じました。食を通じで人々が喜んでもらえることを世界に広めたい、またその成長力を京樽に感じて私の京樽人生は始まりました」
こう振り返るのは、持ち帰りずしチェーンの京樽社長の石井憲だ。
石井が大学を卒業して京樽に入社したのは、バブル絶頂の1988年。なお、現在、スシローと京樽を傘下に持つFOOD&LIFE COMPANIES(F&LC)社長の水留浩一も、その3年後の1991年に電通に入社していて、同じバブル世代である。
拡大路線を突っ走るバブル期の京樽には、和食チェーンのトップに立つ矜持と輝きがあった。バブルという時代のムードと、よくマッチしていたのだろう。
バブル絶頂の1988年頃の日本は目も当てられないほど浮かれていた。NTT株の上場をきっかけにした株式投資ブームで多くの企業が財テクに走った。不動産価格の上昇も急ピッチで、日本の地価を合計すると、国土がはるかに広い米国が4つ買えるなどと言われた。ジュリアナ東京で、派手なブランド服に身を包んだ若者が踊り、深夜帰宅のタクシーを、1万円札を振って停車させた。東京湾に浮かぶクルーズ船では高級なシャンパンが空く。そして、テレビでは「24時間戦えますか」という栄養ドリンク「リゲイン」のCMソングが流れていた。
そんな中、京樽は、看板商品の「茶きん鮨」が生み出す伝統と高級な持ち帰りずしというブランド力に加え、積極果敢な経営で名をはせていた。バブルの生んだ熱や派手な喧噪と、よくなじんでいたのだ。
一方スシローが、「すし太郎」の屋号で大阪府豊中市に回転ずし1号店を出店したのが1984年。
この1号店で働き、後にあきんどスシロー社長となる豊崎賢一は著書で「魚市場でよいネタを仕入れようと思っても、『回転寿司なんかに、いいネタは売れないよ』と言われることもありました」(『まっすぐ バカ正直に やり続ける。』ダイヤモンド社)と書いている。華やいだバブルの時代、回転ずしは「安かろう、悪かろう」と外食産業の中で一段も二段も低く見られていた。
まさか、30数年の時を経て、スシローが京樽を買収するとは――。
バブルの熱気の中では、石井や私だけでなく、水留さえも、この逆転劇は夢想すらできなかっただろう。
京樽は、米国のレストランチェーンや食肉会社も買収、積極的に海外出店してグローバル化にも野心的に取り組み、現在のスシローをほうふつとさせる勢いがあった。それなのに、なぜ……30年で何が起きたのか。