東西にヒマラヤ山脈が連なり、北を中国、南をインドに挟まれる山岳国家のネパール。この南アジアの小国が、中国とネパールを鉄道で結ぶという「一帯一路」構想に沸き立ったのは2017年のことだ。だが、今や「中国熱」も冷めつつある。実はネパールこそが米中超大国が覇権を争う激戦の地だ。コロナ禍もあり、「一帯一路」はすっかり棚上げ状態になっている。(ジャーナリスト 姫田小夏)
2010年代中盤は“相思相愛”だった
ネパールの首都カトマンズで「一帯一路」の覚書に中国とネパールが署名したのは、2017年5月12日のことだった。その前年の2016年、シャルマ・オリ元首相(ネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派、略称UMLの党首)が訪中し、「中国~ネパール越境鉄道」を含む「中国~ネパール越境運輸協議」への署名を行った。中国とインドの国境に沿って立ちはだかるヒマラヤ山脈を突き破り、インド洋に南下するのは中国の悲願だったが、鉄道や道路の接続を提案したのは、むしろネパール側だった。
ネパールが「一帯一路」に乗り気だったのは、インドへの牽制(けんせい)がある。
2015~16年にかけて、新憲法可決を引き金にネパール・インド間の国境が封鎖された。そのため、インドからの物資供給が滞り、中国との貿易に活路を見いだす必要性に迫られていた。2016年のオリ元首相の訪中の背景には、こうしたインドとの関係悪化があり、ネパールは「一帯一路」への協力を“渡りに船”とばかりに利用しようとした。
当時、ネパールと中国は互いを必要としあっていた。2019年10月、習近平国家主席がネパールを公式訪問した。国家主席の訪問としては23年ぶりで、共同声明では両国の発展に向けて戦略的協力パートナーシップを構築すると発表した。
中国商務部によれば同年末時点で、中国からネパールへ直接投資の累計は4億8000万米ドルとなった。直接投資の累計金額(2019年8月〜20年7月)では、インドは中国の倍以上の規模を維持するが、2013年8月〜14年7月の財政年度をターニングポイントに、中国はインドを抜き(フローベース)、投資を伸ばしている。
観光を重要な産業に位置づけるネパールも、中国からの観光客の取り込みを期待した。コロナ禍直前まで、ネパールを訪れる中国人観光客は増加し続け、インド人観光客に次ぐ規模にまで成長していた。
ネパールは国際空港の建設を急いでいるが、ネパール第二の観光都市ポカラにできる国際空港は中国がサポートする「一帯一路」の重点プロジェクトだ。両国間の「一帯一路」プロジェクトは、鉄道のみならず、国境ゲートや道路整備、航空や通信分野にまで及ぶ。
そんな好調が続く中で、両国間に暗雲が垂れ込めた。