すると日本銀行は、山一證券に対して事実上無担保・無制限に特別融資することを決定(日銀特融)。続いて7月、戦後初となる赤字国債を発行し、信用不安の拡大を抑え込んだ。これを受けて、株価は上昇に転じ、重工業を中心に企業業績も回復に向かった。
かくして、「昭和40年不況(証券不況)」と呼ばれる事態はわずか1年間で収束し、その後の日本経済は65年から70年にかけて57カ月連続の好況(いざなぎ景気)を記録することになる。
今回紹介する記事は、こうした展開をまだ知る由もない「ダイヤモンド」65年8月2日号に掲載された、土光敏夫(1896年9月15日~1988年8月4日)のインタビューである。土光は石川島重工業(現IHI)社長を経て、この年に経営難に陥っていた東京芝浦電気(現東芝)の社長に招かれたばかりである。当然ながらインタビューのテーマは、東芝の再建の行方と、目下の不況をどう乗り切るかにある。土光は「輸出以外に再建の道なし」と明確に持論を開陳している。
「ミスター合理化」と異名をとる土光の辣腕により、翌66年には早々に東芝は再建軌道に乗る。土光はさらに74年には経済団体連合会(経団連)の第4代会長に就任、2期6年にわたって財界総理を務める。81年には鈴木善幸内閣の第2次臨時行政調査会長に就任し、行財政改革を推し進めた。(週刊ダイヤモンド/ダイヤモンド・オンライン元編集長 深澤 献)
政府が早く対策を打ち出さないと
世間は大変なことになる
――今度の不況に対し、政府もいろいろ手を打とうとしていますが、不況感は募るばかりです。いままでは、希望的観測で、秋になったら良くなる。来年の3月になったら良くなるだろうといわれてきた。そして、各企業は、経費の節減とかなんとか細かい手を打ってきているが、最近になって、お先真っ暗というか、希望的観測も引っ込みました。経営者自体が自信を失いかけているような感じです(聞き手は当時のダイヤモンド社社長の寺沢末次郎)。
自信もなにも、動けないんだからしようがない。打つ手といったら、値段を下げるぐらいのことしかないんだから。
――それじゃ自分で自分の首を締めるようなものですからね。こんな状態が、これから1年も続いたら大変ですね。