中内功ダイエー社長
「週刊ダイヤモンド」1984年7月21日号に掲載されたダイエー創業者、中内功(1922年8月2日~2005年9月19日)のインタビューである。ダイエーの歴史に詳しい読者ならピンとくるかもしれない。当時、同社は業績不安の真っただ中にいた。

 72年に三越(現三越伊勢丹)を抜いて、小売業売上高首位に躍り出たダイエーは、その後も成長を続け、80年には日本の小売業では初となる売上高1兆円を達成した。 そして、次なる目標として4兆円構想を打ち出し、 コーポレートカラーにちなんで「オレンジ合衆国」と名付けたコングロマーチャント(複合小売業)の“建国”にまい進する。

 フランスの百貨店「プランタン」との提携による百貨店業態への進出、米ハワイのアラモアナショッピングセンターの取得など、積極的に拡大を図るが、そこから伸びが鈍化。82年度から3期連続で連結赤字に陥ってしまう。多角化投資にばかり資本を投下し、既存事業への投資を怠ったことが収益性低下の理由の一つだった。

 中内は、日本楽器製造(現ヤマハ)社長だった河島博を副社長として招聘し、この苦境を打開する新生3カ年計画の策定を河島に託した。今回の中内のインタビューは、ちょうどその頃のものである。改革の指揮官となった河島が、業績をV字回復させる改革、通称「V革」を始めるのは、その8カ月後、85年3月である。

 河島は、生え抜きの若手幹部の登用、関連会社の整理統合、在庫削減による資金効率の改善などを断行し、見事に改革を成し遂げ、1年で黒字転換に成功する。

 ところが、V字回復が実現すると、中内は長男の中内潤を副社長に抜てきし、自身が再建を引き受けていたミシンメーカーのリッカーの管財人代理として河島を送り出す。そして再び、経営の最前線に返り咲き、かつてのワンマン体制に戻してしまうのである。

 その後の中内は、折からのバブル景気にも乗り、88年には南海ホークスを買収してプロ野球にも参入、福岡ダイエーホークスと福岡ドームを誕生させ、次男の中内正をオーナーに据えた。さらに小売りのみならずホテルやパチンコチェーンなども展開したり、リクルートの創業者、江副浩正からリクルート株式を買い取り、自らリクルート会長の座に就くなど、拡大路線をひた走った。しかし、バブル景気の終焉とともに、再び業績が悪化し、経営破綻への道を歩むこととなる。2004年に産業再生機構の支援を受け、イオンの傘下に入った。

 このインタビューで、中内は「最終的に“人”を残したい」と語っている。しかし、流通革命の旗手として一時代を築いた中内だったが、子息への事業継承のために、「人を残す」どころか、V革の功労者である河島だけでなく、有力幹部を次々と外へ出してしまった。最終的にダイエーというブランドを消滅させてしまったのは、他ならぬ中内の責任である。(敬称略)(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)

新業態に進出するために
“銀座”の名前が欲しかった

11984年7月21日号より

――ダイエーがおかしくなった本当の原因はどこにあるかと中内さん自身はお考えですか。

 おかしくなったというよりは、時代が変わったということね。だからその時代に対しての対応をわれわれがしていくことが必要だということですな。

 今までのダイエーじゃなしに、ダイエーも大きく変化をしておるということで、それをおかしくなったというのだったら、日本経済もおかしくなったし、世界的に経済がおかしくなって、低成長の時代に入ったわけだから、“行け行けドンドン”の時代ではなくなった。

 だからわれわれもスキマというか、サービス業というか、ソフト化に対して対応していきよるわけです。今までの小売り一本槍から4本の柱ということで、小売りの部門と、不動産の部門、ファイナンスの部門、そしてサービス事業の部門という4本柱を考えているわけで。

 時代の変化の中でダイエー自体も大きな転換を始めておるわけですから、今までやってきた中のスキマを埋めるということにこの10年間ぐらいは変わっていくんやないですか。それを、おかしくなったと言うなら、確かにおかしくなった。

――ダイエーだけが小売業で1兆円まで達成できたという理由については、中内さん自身はどういうふうに……。

 それは先見性ということでしょうな、ほかの人から言うと。やっぱり日本の高度成長を先取りしたということですな。それから土地を持っておったということですな、含み。

 だから人の含み、土地の含み、庶民の開発力ということによってわれわれだけが時代を先取りしてきたんですな。だからうちが一番含み持っていますな。含みというのは不動産ね、自社の土地、建物。そりゃ一方では借入金が非常に大きくなった。その代わり、それに見合う以上の含み資産を持っているわけでしょうね。

 その含み資産を担保にして、急速に店舗の拡大をしてきたわけですね。その高度成長のときに含みの値がどんどん上がっていくから、その担保能力は増す一方で、400万の資本金の会社を今の百何億か130億かな、の資本金の会社まで二十何年間で拡大をしてきたわけです。

――それは高度成長を読み込んだ土地の含み戦略といいますか、これが他社とまったく違っていて、それを読み込んで突っ走ったところが一番に達成した理由だということですね。連結赤字の方の理由は……。